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2010年9月

2010年9月 6日 (月)

現代詩時評・展望「詩人の言動 ~時代の闇と、詩の光~」  コールサック67号より

  闇の中 ~ジャーナリストとは~

 参議院議員選挙があった。読者諸氏も支持政党や支持候補者はさまざまであっただろうから、その政治的結果についてはここでは触れない。ただ、昨年から今年にかけての国民的な要求・世論との関係で、二点だけ指摘しておきたい。
 一つは、連日賑やかに選挙運動が展開されテレビも騒いでいたにもかかわらず、争点が勝手に決められて、それ以前にあれだけ大問題となっていた沖縄の米軍基地問題をマスコミも大多数の候補者も言わなくなった、あるいは玉虫色に言及するだけになってしまった、という点である。沖縄県議会が全会一致で米軍基地の県内移設反対を決議し、住民が米軍基地を何とかしてほしいと切実に訴えていたのである。選挙戦が始まる前まではこの問題こそ国民的関心事の一つだったしマスコミも報道していたのである。それが、「ハイ選挙です、財政問題です、消費税増税は仕方ないんです、経済は素人の国民の皆さんにはわからないんです、エリート達にまかせなさい」といった雰囲気でどんどん誘導されるようで、暮らしに困っている国民の方が悪いことをしたかのようにお説教され、沖縄の米軍基地問題や平和の問題などを言うと「極端だ」と言われそうな雰囲気になっていくのである。ましてや、どう見ても不平等な日米安保条約について口にしようものなら白い目で見られそうな空気。堂々とこの問題を前面に出す論争がほしかった。結局はまた、国民もみんな忙しいから、イメージ選挙に流されて、沖縄の苦悩には知らんぷり、アメリカ政府には何でも賛成の風潮に戻るのだろうか。
 もう一つは、一つ目とも関係するが、ジャーナリストとはそもそも何か、という点である。私も青年期が去り、人生半ばまできて、大学時代の同年代の人達が社会のあらゆる分野で重要な役割を担う世代になった。また、若い頃にジャーナリストになろうかと考えたこともある人間である。だからいま彼らが新聞やテレビや雑誌やインターネットなどでどのような方向で仕事をしているかには強い関心がある。激務をこなす彼らに敬意を抱きつつ、「公正な報道」ということの意味をはき違えているのではないかと感じていることも述べないわけにいかない。
 戦前に軍国主義や巨大財閥の意向に屈服する形で国民を悲劇へと動員した苦い教訓から根本的に反省して再出発したのが戦後ジャーナリズムであったはずである。当時の新聞各紙を見る機会があると、新鮮な驚きを覚える。権力者からの視点ではなく、生活者の視点で、しかもズバズバものを言っていた。
 それがいつの間にか、本質を避ける傾向になってしまった。明らかになってきた「日米核密約」のことをなぜもっと突っ込んで報道しないのだろうか。国民の安全に関わる大問題である。金権問題などでも政治家個人の疑惑や事件はそれなりに報道するが、それらのシステム的な根元にまでは踏み込まない。なぜか。彼らの社の収入の大きな部分がスポンサーから出ていてスポンサーは大企業(もちろん政治経済に圧力的に口を出す)が多いからか、彼ら自身の生活が庶民感覚を喪失したからか。正義感に燃える記者もいるのだろうが、ちょっとまともな主張をすると「偏向報道」というクレームにさらされて、場合によっては襲撃されたりもする日本社会の閉そく感で鈍くなっていくのだろうか。国際面や経済面を読むと、いまの巨大新聞がどこに視点を置いているかがよくわかる。ヨーロッパの国民デモや要求実現などはあまり報道されず、もっぱら政治家の権力闘争の「分析」や多国籍企業経営陣の発言などが前面に出るか、あるいは逆に、他国の貧民のクローズアップを「日本はましだ」という反動的な幻想に変える内容、である。
 ジャーナリストよ、しっかりして頂きたい。期待をこめて。

 一九九〇年代の冬のある日、パリを旅していた私は大きな国民デモに遭遇し、感動していっしょに歩いた。交通整理の警官も応援している様子で、「さすがは革命の国」と実感したが、ふと街角から聞こえて来た日本語「ああ、おそろしい」。観光客の女性たちである。この時、私は強烈な孤独感に襲われた。私は日本文化とフランス文化を愛する日本国民なのに、フランス文化好きと称する日本人観光客とこのように敵対関係にあるのである。彼らは知っているのだろうか、イヴ・モンタンはマルセイユへの移民の子であり、エディット・ピアフはノルマンディの娼婦達と共に育った子であり、アラン・ドロンは両親離婚と家庭不和の生い立ちからのし上がった人であり、当時流行していた歌手のパトリシア・カースはドイツ人とフランス人の混血でこどもの頃からうたっていたし、我らの詩人ボードレールはパリの場末で生前アカデミズムの文学者にさんざんコケにされ、人生を呪いながら死んでいったということを。だからこそ、その人生の奥からしぼり出すような芸術が世界の悩める人々のこころに響くのだということを。平和的な連帯デモを「おそろしい」と感じる人々。日本で「中庸」マスコミの洪水に流されて暮らし、日本近現代のアジア侵略の歴史もろくに知らず、日本社会の中で生活や権利や差別で苦しんでいる人々などどうでもいい、そんな人々なのであろうか。そして彼らこそが「典型的」日本人なのだろうか。そうは思いたくないが、そう思ってしまう絶望に、二十代終わりの私は夜のパリの街を一人彷徨した。中国系フランス人一家の小さな中華料理店でやっとこころ救われた。シノワーズの娘がジャポネの私にフランス・ワインをもってきてくれて、微笑んだ。

 しかし、同じ時代を生きてきた日本に、いま、この闇の中の苦しみを苦しみとして感じとる人達はきっと少なくないはずだ。闇の中でこそ、深いものが心と心をつなぐかもしれない。

  光の力 ~現代詩人会六十周年の動きなどから~

 異端。
 ここから話は前進する。
 いま述べてきたような状況。
 だが、頼りないマスコミや多くの政治家と異なり、ここに詩文学というフィールドがあって、現代批評と現代抒情が、一方では鋭く、他方では優しく、前を見つめ、後ろを振り返り、横に振りむき、外と内の深部をつかみとっている。
 たくさん発行されている詩誌や詩集でそれぞれに熱心な展開を日々目撃しているが、詩人たちの詩やエッセイや評論からは、市民生活の集団的・個人的な実相・実感が伝わってくる。執筆スタイルは日常派的なものから芸術至上主義的なものまでさまざまであるが、どのような表現傾向であれ、現代の地球と世界と人生と内面世界の本質をとらえようとする批評精神と抒情精神に共感するのである。悲惨な社会現象に落ちこみがちな時、そのような詩の世界に救われる。私はジャーナリスト達に、おそらく彼らにとっては「無名」であろう現代の詩人の詩を読ませたく思う。
 政治経済が混迷を深め、殺伐とした世の中にいるからこそ、こころをつなぐ詩文学が求められるだろう。

 先日、日本現代詩人会の西日本ゼミナールが大阪で開かれ、会内外から約二百名が参加した。続いて同会創立六十周年記念の「日本の詩祭」が東京で開かれ、約四百名が参加した。私も一会員として両方出席し、会場での個人的交流も話が弾んだ。
 感銘を受けたのは、東京での「日本の詩祭」の主要プログラムの中で、「H氏賞」のH氏こと故・平澤貞二郎氏は戦前のプロレタリア文学出身の社会的な眼のある人で、戦後の混乱が続く一九五〇年、東京新橋の雑踏で詩人・村野四郎とバッタリ再会したという回想が、いまも詩の世界に理解のあるご子息の発言と共に、会として大勢の前で確認されたことであった。現代詩は、プロレタリア詩とモダニズム詩を共に発展的に受け継いでいるのである。
 ともすると「権威主義」と見られがちのこの日本の代表的な詩人団体の一つが、いまこの時代に、もう一度戦後詩の原点を真摯に見つめる機会をもったということは、参加していて小気味よいものであった。そして、歴代の詩人何人かの詩朗読、特に初期の人達の詩に励まされた。混迷記号論のようなものはほとんどなく、ちゃんと中味があり、詩によってはメッセージ性もあって、イメージ豊かな個性的な詩想が耳から入ってきて、勇気づけられた。現代詩人会がこのようにうれしい意味で予想を裏切る、開かれた内容の催しをしたということに、意外な励ましをもらった。もしかしたら、時代が時代なだけにそろそろ現代詩の世界の風向きも変わってきたのかもしれない。会場には私と同世代の人々やもっと若い人達もいて、それもよかった。このように中味のある活気ある集まりが増えるといい。

 せっかくなので、ここで戦後詩における詩人達のアピール行動のごく一部を、日本現代詩人会創立六十周年記念として刊行された『資料・現代の詩2010』からひろいあげてみよう。
 誤解のないように言っておくが、私は現代詩人会所属の詩人達だけを特別視するつもりはないし、詩団体とは縁のないところですぐれた詩活動を展開している全国各地の詩人達を尊敬し応援している者である。いまここに記すのは、ちょうど今年が現代詩人会六十周年であり、それは重要な歩みと思うので、戦後詩における詩人達の社会的アピール行動の良き参考例として振り返ろうとの意図からである。
 まず、一九五二年六月一九日、「現代詩人会有志」達は「『破防法』制定に対する反対声明」を出した。先述の『資料・現代の詩2010』の冒頭に収録されている「日本現代詩人会六〇年史」(丸地守氏・鎗田清太郎氏)(以下引用はすべてこの文章から)によると、「対日講和条約が発効した。しかし、安保条約、行政協定等によってしばられ、多数の基地を残したままの状況に強く反発する空気もあった。発効後三日目に生じた皇居前広場での血のメーデー事件もその現われの一つであった。政府はこれに対応するため『破壊活動防止法案』の制定をいそいだ。この法案は、政府の解釈次第で、国民の自由な民主運動、言論活動をも抑えこむ新しい『治安維持法』になる恐れもあった。」
 どうだろう。一九五二年の日本の詩人はなかなか鋭かったではないか。「多数の基地を残したままの状況に強く反発」という状況などは、いまドキリとさせるではないか。
 次に、一九五八年一〇月には「警察官職務執行法(警職法)」が問題になり、「身体検査、部屋の立ち入り検査(臨検)まで、警官個人の判断で実施できることになるので」「現代詩人会は、『いかなる政治的立場に立つものではないが、言論活動を阻害する恐れがある』として、反対声明書を出した。」
 今度は「教科書・著作権問題」である。「会はこの問題の研究・対応のため、教科書委員会を設けた。」そして、文部省教科書調査官や教科書会社の編集者などと積極的に話し合いをしたという。著作権に関する国際的にも正当な主張がなかなか通らない段階で、会は文部省に対して「著作権の制限に関する意見書」も出している。
 さらに一九六〇年の不平等な新「日米安保条約」への国民的な反対運動にも呼応して、会でも論議し、結局は政府の強引な実行によって、声明は間に合わなかったとのことだが、個々の詩人達の多くがこの国民大運動の中で奮闘したであろう。
 一九七四年には、当時軍事独裁政権であった韓国において、民衆の自由と権利を主張して痛烈な風刺詩を書き日本の意欲的読者にも人気があったすぐれた詩人・金芝河(キム・ジハ)氏が韓国で死刑判決を受けるという重大な事態が生じた。これに対して日本現代詩人会は会員全員に緊急アンケートを送り、韓国政府への抗議声明として要望書を出すことの賛否を問い、圧倒的多数の賛成で出すことになった。その前に韓国の求刑は無期懲役に変わったが事の本質は変わらず、会はその要望書を出した。その文章を引用する。「貴国の裁判は、詩人金芝河氏に対し、無期懲役の重刑の判決を下しましたが、日本現代詩人会はこれを遺憾とし、判決の撤回を要望します。//人間の自由と尊厳を守るために、民衆の声をうたい上げてきた金芝河氏の詩作活動は、洋の東西を問わず、詩人として当然の行為であり、これを圧殺することは、単に金芝河氏個人の問題にとどまらず、人間の基本的権利である言論・思想の自由を無視した重大な問題であります。//もとより日本現代詩人会は政治的集団でも党派的過熱により盲目化した結社でもありません。従って、この要望書は特別のイデオロギーに基く観念的な判断ではなく、わが国が過去にもった暗黒裁判の苦い反省を含む自由への真情に発するものです。//わたしたちは、地球上の誰もが再びあの体験をくりかえすことがないよう、政治以前の人間存在の問題として、ここに金芝河氏の釈放を強く訴え、韓国当局の勇気ある再考を望んでやみません。」
 特にこの中の〈わが国が過去にもった暗黒裁判の苦い反省を含む〉というところに注目だ。この観点をいまも忘れてはならないだろう。〈詩人として当然の行為〉というところも、社会性の強い詩を敵視する向きにいま読ませたいところである。
 一九八七年には「国家機密法案(スパイ防止法案)反対声明」が出された。この過程では、全会員のもとに政府が国会に提出した法律案と同じく予定されている修正案が送付された。大多数の詩人の意見は、これは「思想・信条・学問・研究の自由、集会・結社・言論・表現の自由を著しく制限・抑圧する」というものであった。
 一九九一年には日本現代詩人会と日本詩人クラブの連帯行動として、声明とお願い「地球環境を守ろう」を発表、パンフレットも発行した。
 以上が『資料・現代の詩2010』に見る同会のアピール行動のあらましである。貴重な足跡だ。

 他に、戦後社会のさまざまな問題を追及する詩人有志の会がつくられて世に意思表示してきたし(たとえば一九七三年の「小選挙区制に反対する詩人の会」や、二〇〇四年から現在に続く「九条の会詩人の輪」など)、詩団体も社会的な問題に敏感なグループがさまざまな行動をしてきた(たとえば一九七三年チリの軍事クーデターに抗議する「詩人会議」の詩的連帯行動や、一九九五年の「詩と思想」主催「阪神大震災チャリティ詩画展」や、二〇〇七年「コールサック」のアンソロジー詩集『原爆詩一八一人集』など)。ことに平和問題や言論の自由の問題には、戦前の教訓をふまえて再出発した戦後詩・現代詩の本質的な性格から、詩人達は単独でも強い意思をもってとり組んできた。

 この閉塞感に苦しむ時代に、戦前の暗闇を美化して復活させようとするような動きが、「歴史」物ドラマ(昨今、明治時代の国家主義的美化が目立つ)などをうまく利用して国民の中に浸透させられようとするなら、詩人はいまこれからの言動の方向を根本的に問われていると言えよう。
 もちろんそれは、詩作品の題材の問題に矮小化されてはならない。詩精神は自由である。何を詩に書くかは、どう書くかと共に、詩人その人の胸に委ねられている。精神的自由のない時代の一篇の深い恋の詩もまたすぐれた抵抗詩であるし、もっと突っ込んで言うと、抵抗詩を書かないからといってその詩人が否定的状況に抵抗していないわけではない。詩は強制されて書くものではない。
 いま述べているのは、詩世界を誠実に深めている詩人達が、一個人として、一市民として、一社会人として、一詩人として、目の前の切実な社会政治経済問題に、見て見ぬふりせずに、どう向き合い、どう発言・行動するか、ということである。

 そんな意味で、最近注目の動きとしては、京都在住の一九六一年生まれの詩人・河津聖恵さんのイニシアチブで実践されている詩人・歌人のアピール行動であろう。「高校授業料無償化制度における朝鮮学校除外に反対する」という趣旨である。アピール行動の他に、有志によるアンソロジー詩歌集も作成されている。これには約七〇名の書き手が作品参加し、この八月に刊行された。作品には書かないけれどもこの運動に賛同しているという詩人もたくさんいるだろう。
 この問題における国会議員や世論の一部の低次元な発想には本当に驚愕する。「拉致問題があるからだめだ」「キム・ジョンイルの味方をするのか」。日本のこども達の日常会話にポロリと出てくる「朝鮮人は嫌い」などの言葉を聞くと、彼らの親が日頃どんな会話をしているかがうかがわれて、悲しくなる。日本の親達よ、教師達よ、しっかりして頂きたい。そして、在日の人達内部の問題としても、日常の暮らしの中で、北と南の過度の政治的対立に振り回されないことを望む。どの生徒にも大切な人権があるし、どの生徒も堂々と生きてほしい。
 いわゆる在日コリアンという存在は、単なる「外国人」ではない。そんなことも知らない人が少なくないのだ。自由意思で海外から日本に商売をしにやってきた人々とはその背負っているものが違う。一九一〇年から一九四五年までの日本軍国主義の「韓国併合」で植民地にされて、おのれの国を消滅させられ、日本に連行され日本人労働者よりも劣悪な条件で強制労働させられて何とか生きのびた人たち、仕事を得るために日本に来ざるを得なかった人たち、日本軍の兵士にさせられた人たちなどとその子孫である。一九四五年八月一五日は喜ぶべき解放の日であった。ところが、すでに彼らと彼らの子孫は日本になりわいと暮らしを持ち、また祖国はアメリカとソ連の代理的な分裂と混乱、朝鮮戦争による二国への分断、その後の両国システムの複雑さなど、もう帰れない状況になっていったのである。日本の戦後社会でも差別され、多くは生活も苦しく、さんざん嫌な目にあいながら、それでもはいつくばって生きてきた人たちなのである。日本社会の経済にも文化にも貢献をしてきた彼ら。その青少年世代がいままた新たな差別を受けさせられようとしているのだ。朝鮮学校では日本の学校と共通の中味がしっかりと学ばれている。彼らの学校のホームページを見てほしい。彼らがおのれのルーツ文化に誇りを持つのは当たり前の権利であり、北朝鮮が彼らを支援するのは当然だが、歴史的事情から日本も彼らの生活を応援する義務があるはずだと私は考える。「北朝鮮政府が政治的にけしからんから在日コリアンが生活権利を保障されないのは当然だ」という論理は世界の人権基準に通用しない暴論である。この論理だと、日本政府がけしからんことをした時は日本の一般国民も攻撃されることになるだろう。
 このように危ういいま、日本の「韓国併合」から百年目の今年、日本と在日の詩人・歌人の共同による朝鮮学校差別反対のアピールは、光である。

 コールサックからアンソロジー『鎮魂詩四〇四人集』が刊行された。生と死を見つめた声の集大成、これも光であろう。著名な物故詩人の作品もたくさん収録されており、現役詩人の顔ぶれは多彩な共同になっている。章だても二一章に及び、延べ四一四名、実数四〇四名、作品数四九六篇というレクイエム詩集は一篇一篇が切実である。多くの人に読んでいただきたい。

 今回も駆け足で来たが、秋、冬に向けて、全国各地の詩精神が凛として、毅然と、そして優しく、輝くといい。

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講演記録「いまなぜ詩なのか」二〇一〇年六月十三日 福井「水脈」二十周年のつどい記念講演 コールサック67号より

 「水脈」二十周年おめでとうございます。また、今日はお招きいただき、ありがとうございます。

 私は、詩しかない人間です。詩が人生と言いますか、トイレでも詩のことを考えている変わり者ですので、皆さんが詩をお考えになる一つの参考になればと思います。あいさつがわりに「あいさつ」という詩を読みます。
   
   ―詩「あいさつ」朗読―
〈さよなら〉を顕微鏡で見つめると/しずくの中の光の粒子が虹になって/感情のリトマス紙を見ると/マイナスではない微妙な色合いで/〈かなしみ〉がにっこりしている//〈こんにちは〉を顕微鏡で見つめると/もうそれは/数えきれないくらいの/〈さよなら〉でできていて//やあ とか/おう とか/身振りもまじえて会うことが/いつしか〈思い出〉などというものに変化して//〈人生〉を今度は望遠鏡で見つめてみると/他人みたいな自分と/自分みたいな他人が/星のように時空に浮かんでいるから//ついつい/〈おはよう〉とか/〈こんばんは〉とか/つぶやいているこの時ももう/〈さよなら〉の匂いがしてきて//だからまた/言いたくなるのだ/ボンジュール/アンニョンハセヨ/グーテンターク/ニーハオ/ハロー//こんにちは!

 今、あじさいが咲いていますけれども、私は社会を見つめる詩に共感しながら、同時に抒情がないと生きていけない人間です。日本の四季は、桜、つつじ、あじさい、と花が変化していって親しみ深いものです。こんなことを話すと、いつも日韓の歴史問題とか平和問題などで主張する私なので、意外に感じられるかもしれません。でも、もともと私は日本を否定しているのではないのです。本当は日本が大好きなんです。大好き過ぎるから現状に批判的なのです。若い頃、フランスに「亡命」しようとしました。日本の人がフランス「亡命」などと言っても、誰も本当にしてくれないでしょう。迷ったあげく、日本を捨てるのではなく、日本を変えようと、日本に留まりました。そんな私の「桜だより」という詩を朗読します。
   
  ―詩「桜だより」朗読― 
雲まで桜のいろで/青空は新入生の遠足の声のようで/光の川は慣れないスーツを着た若い女性のようで/お別れがあの人この人にやってきて/出会いがあの人この人にやってきて/四月の休日/まちの郵便ポストはちょっぴり寂しそうです//海へ向かう電車には/まどろみにまぎれて/追憶や/心配ごとや/漠然とした計画などが入りまじり/窓の外の桜とともに/遠いところへ入っていくような/そんな一日です//文庫本を忘れたら/行楽客の家族連れの幼いこどもを見ます/おさるさんのような/大詩人//たどたどしい言葉の/いのちの行間が/こども出身の胸に/愛する心を思い出させてくれるのです//電車はすすみます/桜はゆっくり舞っています//人生はどうなるのでしょう/世界はどうなるのでしょう//これを読む人が誰か知らないけれど/今日あなたもほろ苦い何かにしんみりしているならば/明日の海へ向かう夢の行間に/そっとほほえみをこめて/まちの郵便ポストから/桜降り注ぐ青空をおくります

 こういう詩を書いている人間です。今日は「水脈」二十周年ですが、この間の日本と世界、そして皆さんの文化活動と重ね合わせて、私にも特別の感慨があります。二十年前というと一九九〇年です。その頃私は大学生でしたが、働きながら勉強して、いろいろ模索していました。ベルリンの壁が緊張している時期で、一九八九年はじめと一九九〇年はじめに、働いて貯めたお金でベルリンまで行ってきました。ベルリンの壁が崩壊する直前と直後の緊張と喜びと混乱をこの目で見てきました。はたちの頃に、実際にあって一年後なくなったベルリンの壁を見たことは私に大きな影響を与えました。世界は動くということです。二十年経ちましたが、日本の社会も混迷を深めながら、皆さん何とか踏んばって生きているというのが実情でしょう。フランスで見たバカンスの長い休暇と、恋人たちが夕暮れの町で会社の後に語り合っている風景、フランスやドイツでは、残業をやり過ぎると法律で企業が罰せられます。そういったのを見た衝撃、いったい日本は何なのか、といったところが、ベルリンの壁崩壊のことと同時に、複雑な思いとして私の中に残りました。あれから二十年経って、皆さんと一緒に現状を考えながら、一つ詩を読みます。「モンタージュ」という作品です。
  
   ―詩「モンタージュ」朗読―
壁、ベルリン/監視カメラ、盗聴器/市民、秘密集会/壁の跡、ベルリン/冷めた目つき、ショウウインドウ、札束、バラバラの雑踏/自転車でブランデンブルク門を東へ帰る元東側おじさんの/ため息、背中//アラビア文字/モスク、礼拝する人たち/空爆/廃墟/血だらけの少年の泣き顔/石油産業の現場/星条旗//プサンの丘のイ・スンシン像/玄界灘/血走った顔、豊臣秀吉/朝鮮人の耳、陶磁器/大日本帝国の役人、学校の日本語授業/朝鮮人、田畑から連れ去られ、船、日本の工場/独立運動家、銃殺/プサンの丘のイ・スンシン像/夕焼け、キムチ、キムチ、キムチ//ガジュマルの樹、風の音、サンシンの調べ/青空、広い海/ゴーヤーチャンプルー/米軍基地立ち入り禁止/戦闘機/開票結果に万歳する基地反対派の人たち/開票結果を無視する政府要人の発言が載った新聞//カードローン無人自動申込機に並ぶ若い人たち/さまざまな偏差値表/ハローワークの混雑、〈失業〉の文字/空からの映像、深夜の大都会/ネットカフェ個室ボックス/いびきの音//〈絶望〉の文字、〈夢〉の文字、交互に映り/いびきの音が続く。

 まあたいへんな世の中になってきましたが、ここから話を移して、「私にとっての詩」、このような世の中に生きている私にとっての詩とは何か、ちょっと個人的な体験を話させていただきます。
 二十代終わりから三十代はじめ、それまでいろいろな経歴を経て転々としていたんですが、疲れていました。あんまり言うと大げさだから、死のうと思っていたなんて言いたくありませんが、私にはこの近くの東尋坊から飛び降りる人の気持ちがわかる気がします。そんな状態でした。
 その時私は何に救われたか。「詩」と言ってしまえば簡単ですが、それは一つの形象化された姿として、象徴として私を感動させた「ゴマフアザラシ」でした。皆さんは、アザラシ、ご存知でしょうか。日本近海には大きく言って五種類のアザラシがいると言われています。クラカケアザラシ、ワモンアザラシ、アゴヒゲアザラシ、ゼニガタアザラシ、そしてゴマフアザラシです。ゴマフアザラシというのは珍しい生き方をずっとしてきました。毎年秋になると、ロシアと中国の国境を流れるアムール川、このアムールという言葉の起源は愛だそうですが、このアムール川から海にそそいで、その温度差で、まあここには学説がいろいろあって、どれぐらいのパーセンテージで混ざるのかはいろいろあるようですが、ともかく、その温度差で流氷になって北海道に流れて来ます。その秋から冬にかけての流氷にゴマフアザラシは乗っかって毎年必ず北海道に来るのです。生態系の一部として、ロシアあたりから北海道へ流氷に乗って来るのです。何しに来るかというと子どもを産みに来ます。ゴマフアザラシ、私が詩に書いた後で、それとは関係ないんですが、何かブームになったので、テレビや動物園でご覧になった方もあるかと思いますが、大変愛らしい動物です。真っ白な子どもを産んで、成長したら、なんとまたロシアの北の方に帰って行くのです。それぞれ独立して帰って行きます。皆さん、日本とロシアと中国と韓国と北朝鮮、この一帯には大変な緊張関係が続いてきました。はっきり言って、戦争と対立と疑いばかりかもしれません。そこにずうっと昔から、ユーモラスに何気ない顔で流氷に乗っかって、ひょっこり愛らしい顔でやって来てまた帰って行く。そのゴマフアザラシに、私は一つの象徴と言いますか、当時の絶望からの脱出の方向性を見たのです。
 氷点下三十度、放浪して稚内近くの港にひとりで行きました。そうしたら、いたのです。野生のゴマフアザラシを見たときの、あのブルブルッとくる、言葉に表せない感動! 実はそれが私にとっての「詩」なのです。言葉以上の言葉、全身が震えるような、何かここから生きていこうと決意させるような、そういった感動でした。ゴマフアザラシはいっしょうけんめいに生きているのです。なぜヒトは支配対立ばかりするのでしょうか、そんなことも考えました。そうすると、ヒトというものが対象化されて、それまでは私の考えは世の中で孤立しているのではないかと考えていたのですが、決してそうではなくて、地球そのものが私の思想の味方のような、そのような感動がありました。ヒトを相対化して、文明、歴史を考えてみると、もっともっと世界で仲良くしていったり、戦争をなくしていくという当たり前の主張は、決して時代遅れではないと感じたのです。私の世代はちょうどソ連崩壊もあって、ソ連は社会主義なんかじゃないし間違っていたのだから崩壊してよかったと思うのですが、それを変な見方で日本の進歩的な人たちと結びつける風潮があって、世の中を変えるなんてのは時代遅れだという、洪水と嵐の中で育ちました。しかし、生きたゴマフアザラシを見たとき、私は「詩」を感じると同時に、これからの世界に対して主張することの勇気ももらったのです。自分自身も生きていこうと思いました。そのことを書いた記念碑的な作品「ゴマフアザラシさん こんにちは」を読みます。これは北海道の旭川文学資料館に直筆原稿を大切に保管していただいている作品です。       
  
   ―詩「ゴマフアザラシさん こんにちは」朗読―
あたたかくなってきましたね/また北へ旅に出るのですね/ヒトが国家と国家で閉ざしてきた海を/あっけなく 悠々と 渡ってゆくのですね//そんなに深い目で見つめないで下さい/どちらが人間かわからなくなってしまいます//海は楽しいですか?/あなたのように裸で海に暮らすことはできないけれど/私たちにはいろいろな道具があります/海を渡り 空を飛び 電波を流し/世界中友だちでいっぱい/・・・のはずなんです/2本足で歩き 手を使い 頭を使い/生態系全体とヒトの歴史の流れを見渡して/この星の現在と未来のために尽力する/・・・はずなんです//この島国も/ふるさとアフリカから〝大地〟から/〝海〟から そして 〝人間〟から/あまりに遠く離れてしまった//ああ/そんな励ますような目をしないで下さい/要するに 〝生きる〟ってことなんですよね/わかってるんです/わかっちゃいるけど・・・ ってやつですよ//あなたの寿命は30前後 今 私は32/ヒトの寿命が長いのは/〝生きる〟までに時間がかかるから?//あなたを見ると まじめな気持ちになります/あなたを見ると 優しい気持ちになります//ゴマフアザラシさん/どうか お元気で

 この作品を書いた頃、私の中にひらめいた真実がありました。それは、「地球そのものが詩を書いている」ということです。ホモサピエンスの脳も、海から進化してきた生態系の一部として地球がつくったものです。皆さんの中には敬虔なキリスト者の方もおられるでしょうから、「いや、神が造った」とおっしゃるかもしれませんが、そのお気持ちは尊重しますので、ま、ここは地球か神かということで争わずに聞いていただきたいのですが、そんな「地球が詩を書いている」という観点からいくつか詩を書きました。その中に、イラク戦争の頃、新聞の文化欄に発表した詩で、「彼女の涙」というのがあります。これ、書いたら、家にいろいろ電話かかってきまして、私の知らない方がこの詩を手書きで書いて駅前で貼っていいかとか言ってくださったり、朗読に使わせてほしいと言ってくださったりした時は、詩を書いてきてよかったなと思いました。その詩を読みます。
     
   ―詩「彼女の涙」朗読―
地球は政治経済が苦手だ/金もうけに出兵爆撃/〈自衛〉の名ではるばる星条旗のお伴して/弱いヒトを強いヒトがどんどん支配/その知能悪用に地球は母のため息だ//地球はマスコミが苦手だ/彼女の体つまり生態系のことよりも/〈国益〉なる財界の立場/難しい言葉で中味は空っぽ//地球は昔を思い出す/彼女をカムイといたわってくれたアイヌ、/〈開拓使〉に追われた。/彼女の自慢の作物で料理がうまいコリアン、/〈神の国〉に侵され犯され利用された。//いじめっ子日の丸の子孫は今ようやく/優しい平和憲法をもち/世界を旅していろんな民族と微笑みあい/山を海を動植物を愛そうと/それなのに・・・//銃撃訓練に地球の体が傷つく/軍艦に海の生きものがおびえる/戦闘機に鳥はパニック/車社会に地球の素顔が汚される/ああ、笑顔が消えていく/夢が消えていく/産んで育てて、地球の涙//たちあがった心ある人々よ/地球はあなた方を支持している/四十六億年の生きざまそのものが命の味方だ/時代遅れとあざわらう政治家が時代遅れだ//いろんな思想の平和の子たちよ/今日も地球は黙ってまわり続ける/あきらめたら彼女に申し訳ないではないか//ヒトがかしこくなるのは/これからだ

 いくつか朗読させていただきましたが、私の詩は基本的に「抒情と批評の現代的な合体」なのかなと思います。読み手としての私は、辛辣な風刺詩や厳しい詩、大好きです。例えば小熊秀雄とか戦後思想詩とか大好きです。と同時に、抒情詩も大好きです。福井ゆかりの三好達治なども、戦争協力の問題は政治に弱かった彼の弱点ですが、そのことはともかく、彼の詩は好きです。転々としてきた人生なんか自分に似ているようで共感します。批評性も抒情性も、どちらが詩の本流かといがみあっている場合ではないような、どちらと決めつけられないような、そんな時代に、現代詩は来ているのではないかというのが、私の詩論です。

 ここで、「詩とは何か」ということについて話したいと思います。これは、詩人会議の全国夏の詩の学校の講師を担当した時にお話ししてわりと好評だったので、そこからピックアップしたものです。
 「詩は抒情だ」という意見に私は大賛成です。けれど「抒情のないのは詩ではない」には大反対です。「詩は批評性、批判精神だ。戦後詩というものは戦争批判から始まっている」という意見に私は大賛成です。しかし「批判精神が感じられないのは現代詩ではない」という意見には大反対です。「詩はイメージだ。独自のイメージの世界がきれいだったりグロテスクだったり、そのイメージが大事なんだ」という意見に、私は大賛成です。けれど「現代詩はイメージこそ大事であって、中身とか社会性とか、そんなのはどうでもいいんだ」という意見になったとしたら、私は大反対です。「詩は言語操作だ。最新の言語を駆使して最先端の文学を追求するんだ」という意見に、保留つきではありますが、私は賛成です。そういう詩もあっていいと思います。けれど「言語操作の詩こそが主流で、中身があったり、あるいは普通の人にわかる詩を書くのは低レベルだ」というところまでいくと、私は大反対です。
 つまり、いろいろな流派の方々が戦後競い合って貴重な業績を残して来られました。私はその詩歌遺産を吸収したいのですが、どれにも共感すると同時に、どれにも限界があると感じています。もし、二十一世紀、ここから過去の詩歌遺産を引き継いで新しいところに詩をもっていくとしたら、私はそれらのいいところを積極的に引き継いで、「何々だ」「でなければだめだ」というモードから詩論そのものを解放したいと考えています。

 では、詩はどんなものから成り立っているでしょうか。まず「意味」がありますね。「意味はない」と言っている人の詩にも「意味がないという意味」があります。それから「イメージ」。その人でなければ書けない詩的なイメージがあります。そして「リズム」。私自身はリズムを大事にしたいタイプですが、「リズム解体」というのも一つのリズムです。さらに「詩の言葉」ということについてよく論じられますが、「詩の言葉」というのは、通常使っている言葉と全く違う何かどこかに詩の言葉があってそれを持ってくるというのではなくて、通常使っている言葉なんだけれども、その意識的な組み合わせ、組み合わせ方ですね、そこにその言葉があることによって生じる、別の意味、別の広がり、そういった、「通常使っている言葉の意識的な組み合わせの妙」だと思います。それと、よく「ポエジー」と言われて、わかりにくい言葉ですが、「詩精神」と訳されますが、ポエジー(詩精神)というものが詩の効果を生むのではないか、と私なりに鑑賞者として詩の愛好者として感じます。詩精神(ポエジー)とは何かと考えますと、これはかつて「列島」の菅原克己さんが飯塚書店で若き日の秋村宏さんと編集した『詩の辞典』という、生前の福中都生子さんにずいぶん前にプレゼントされたんですが、この本も参考にして解釈すると、「その人が書こうとしている対象、テーマに対して強度に高まっている精神状態」、それが詩精神ではないか。で、その感動を作品化するためには知的な感性が必要です。そして「詩情」、これも説明しづらいのですが、読んだ時に「ああっ」と思う余韻、独特の詩情、こういったものの総体を詩精神(ポエジー)というのではないか、と私は考えています。組み合わせのことを言いましたが、文字どおりの意味だけではない別の次元の何かも表現される、それが詩文学ではないかと思います。詩じゃなくても意志は伝達できます。新聞記事もあれば、学校の児童のよくできた作文もそうですし、エッセイでも小説でもいろいろありますが、何が詩たらしめているかというと、言葉の伝達だけではなくて、何かその人独自の高まり、奥行きといいますか、そういうものではないかと思います。組み合わせによる「ずれ」とか、比喩とか、ダブルミーニング、一つの行で二つ以上のことを言っているとか。そういったものも詩ならではの特性ではないかと思います。
 リズムの話ですが、菅原克己さんの『詩の辞典』に、「内在律」という、示唆に富むことが書いてあります。詩には内在律というのがある。内在律とは、作者独自の詩のリズムです。体内の、生きてきたものが生み出す、その人にしかないリズムってあると思います。外部から強制された「定型」ではなくて、自由詩だからこそできる、内部に生まれる作品独自のリズム、それが内在律だ、と。

 先ほどいろんなタイプの詩の話をしましたが、詩運動上の永遠のテーマのような感じで、私も大阪詩人会議の編集長や同人誌の代表などをやっていた時に合評会で司会進行役をやりましたけれども、傾向によってスタンスがそれぞれあると思うんですけれども、寡黙な詩と饒舌な詩、具体描写傾向と普遍化傾向、客観事実提示型と独白型とメッセージ対話型、などの傾向の違いが生じさせる緊張関係ですね、そういうものを批評の場でいかにプラスに共同の方向へもっていくかということが重要です。詩を判断する時、批評する時というのは、自分自身の詩の傾向のみを正しいとしてその考えをもって批評してはだめだと思います。批評家と創作者というのは同じ人でも思考回路を変えるべきです。私は若い頃から世界や日本のいろんな詩を読んできましたけれども、本当に豊かな詩歌遺産があります。それらの輝く詩群に学ぶと、決してこういう型だけがいい詩だというのはないし、また第一級の本物の詩を読むことで自分の志も高く保つことができ、積極的に批評することで詩を読む力もついてきます。

 「詩とは何か」というところに戻りますが、私なりにずっと考えているのは、「世界と心の本質」ということです。本質というのも、その人の本質です。その人の内面が外界をとらえたり内側に見い出したりした真実です。そこでは「矛盾」というものの形も大切にされます。それと、「感動の独自の形」、その人にしかない感動の形、です。

 皆さん、日本ほど詩が虐げられている国はないと考えるのは私だけでしょうか。韓国に行くと、若い詩人を含めて本屋に詩集がたくさんあります。詩が人々の生活の中に入っていて、詩人は尊敬されています。フランスに行くと、今でもマヤコフスキーのフランス語版などもあって、やはり詩集が本屋にあります。日本はどうでしょう。私の若い頃、一九九〇年代はじめ、八〇年代終わりぐらいは、まだ大きな本屋には多様な詩集がありました。今でも大きなところには若干ありますが、総じて書店に詩集が異常に少ないのが現状ですね。世界の詩歌遺産と言っても、読むきっかけもないのではないでしょうか。それがとても悲しいです。

 古代からどこの国でも、『万葉集』の日本でも、詩というのはすべての文学の母です。詩というのは言葉に強度の本質が現れるものです。小説もいいし、そのほかいろいろなジャンルの文学がすぐれた作品を残していますが、そのもとになっているのが詩ではないかと思うのです。本屋のことを嘆いていたらきりがありませんが、そんな状況の下でも、一人でもいいから詩に感動してくれる人が世の中に増えたら、すてきなことではないでしょうか。私には市場を変える力はありません。常にそれがはがゆいです。でも、そのことを嘆いているよりは、一人でも多くの人に詩を届けたり、一つでも多くの詩に感動してその人に批評を返してその人を励まして一緒に詩の世界でやっていきましょうと呼びかける、それくらいしかできませんが、皆さん一人ひとりがそうすることが、詩を愛好する人口を日本でも増やして、やがては下克上のように、日本を詩でいっぱいの国にできるのではないでしょうか。夢想家過ぎるかもしれませんが、ご一考ください。
 「心と心が最もダイレクトに交信する」、そういう場が「詩」だと私は思います。
 読者の問題を少しお話しすると、一方で、少数の精神に深い感銘を与えるタイプの詩があります。多くの人が読んでもよくわからないけれども、自殺しようとしている人がそれを読んで救われたなら、それは名詩だと思います。他方、いろんな人、世の中の多くの人に愛される詩、これも大事だと思います。で、その二つはいがみ合うべきではないと思います。すべての詩運動を「わかりやすい言葉」のみの強調、あるいは「複雑な専門性」のみの強調にしたら、いずれにしてもついていけませんね。「普通の人」とは誰か。たとえば、買い物をしている五十代のおばちゃんがいいと思う詩もあれば、悩みながら世の中を模索している二十代始めの人が感動する詩もあります。人の性格自体がさまざまなのですから、誰がどの詩を気に入るかというのもさまざまなのです。
 わかりやすい言葉で書くのが得意な人は大いにそれをやりましょう。他方、わかりにくいかもしれないけれども、本当に詩を愛する人の心にきゅうっとくるような、そういった詩を書く人はどんどんそういったものを深めましょう。そのようなスタンスで私はこれまで詩運動に関わってきましたが、けっこう多くの人を紹介することができました。六十五億人のたった一人でも、その詩に深い共感を覚えるなら、その詩は大切な詩です。私はそう思います。
 そんな私ですが、今まで、文学を愛好してきた気持ちを書いた詩を朗読します。

   ―詩「文学―じゆう―」朗読―
門にはヘルマン・ヘッセが立っていた/流浪の木には悩みそのものが主題化されて/共感が東洋の青年を死から救った/共感が東洋の青年を死から救った/ラジオ・ドイツ語講座/シュトルム短編小説「みずうみ」朗読/主人公ラインハルトンハルトの恋は青年自身の葛藤だった/進行形のスクリーンには/ヴィム・ヴェンダースの現代ベルリン/壁をうち破る心の鐘とともに/〈こどもがこどもだった頃 ・・・・・・〉の詩が朗読された//怒とうの彷徨と労働/ポップな道と重い道の交差点/闇夜にシャルル・ボードレールが立っていた/ニヤリとぶどう酒を差し出して/デカダンな陶酔と/異端の批評が/青年の絶望を勇気に変えた/ポー ハイヤーム アポリネール プレヴェール/ヴィアン ブルトン エリュアール アラゴン/ギンズバーグ ホイットマン マヤコフスキー/キム・ジハ ヒューズ ネルーダ ブレヒト/おお アヴァンギャルド/次々と出あう詩世界に/人生の広さを知った//疲れきった青春の夕暮れ/北の公園に小熊秀雄が立っていた/わかってるって/〈しゃべりまくれ〉だろ/するといきなり/河邨文一郎が「物質の真昼」を朗読/更科源蔵が「怒るオホーツク」を朗読/今野大力が「やるせなさ」を朗読/小熊秀雄が数十篇もたて続けに朗読すると/青年のまぶたは満ち潮だ//それからどこで何をしていたのか//(彼自身の詩集が数冊ある)//門にはヘッセを迎えるゲーテが立っている/ファウストとメフィストフェレスが/二十一世紀のどこかの誰かを待っている

 ぜひ、一人でも新しい詩人を迎え入れ、詩を愛好する人を迎え入れようではありませんか。もう一つ、アンデルセンの話を読みます。

   ―詩「アンデルセンの時間」朗読―
石畳に響く靴音/白く蒼い息づかい/あれはアンデルセンでしょうか/コペンハーゲンの港からたったひとりで/夢想家がどこへ出かけるのでしょう//むかしどこかで読みました/マッチ売りのこどもが凍え死ぬとき炎に夢を見て/人魚の娘が愛する人を裏切らずに去り/みんなと違う鳥がつらい思いをして/〈あんまりだよ アンデルセンさん〉/と感じたはずなのにそうではなくて/自分の心が愛されたような/特別の通路で世界の詩人から/まなざしが贈られたような気がしたのです//人は思い入れが強すぎるとうまくいかず/それだけあればと思うほど手に入らない/恋ばかりしていたあなたが結局生涯独身で/こどもの世界を愛したあなたに自分の子はいない/貧しいのにお金ができると旅ばかり/絵のない絵本であなたが描いたかわいらしいこどもたち/見つめる鼓動が聴こえてくるのです//ぼくも大阪という港まちで/こどもたちとたくさん出会いました/あどけない顔がいつの間にか思春期に/落ち着いてきて雰囲気が出て大人になっていき/〈センセイ!〉なんて声をかけられるとまぶしくて/ひとりひとり自分の子だと感じてしまって//そんな時ふと思い出す二十年前のコペンハーゲン/はたちのぼくはガイドブックも持たずに冬の港へ/アンデルセンさん/あなたの苦悩に会いに行ったのです//いま世界のこどもたちと共に/そっとぼくは/まなざしの返事を贈ります

 私は転々とした人生を歩んできました。幼い頃両親が離婚したんですけれども、それは自然なことで、離婚そのものには母のためにも賛成でした。しかし、今だったらそういう家庭が多いかもしれませんけれど、私が子どもの頃はそういった家庭は周りにあまりありませんでした。それで、日ごろは仲良くしているふりをしながら、裏で井戸端会議で失敗家庭のことをうわさしたり、子どもにそういったことを告げ口して、いつも仲が良いのにけんかの時になると、切り札としてそういったことを出してくる、近所のそういったものに、私は憤りを感じました。それがもしかしたら、社会に対する批評精神といいますか、きっかけかもしれません。そして、十七歳の夏の精神的危機に本格的に詩と出合って以来、詩に生かされています。
 また、四歳の頃、あと三十分で死ぬ手術を受けました。急におなかが痛くなって、あと三十分遅れていたら爆発していたそうです。珍しい病気でした。奇跡的に治りました。その時に、幼いながらも私は一回死んでいます。その時の感覚は切実でした。私が「九条の会詩人の輪」などをやっていると、政治のことから入ったと思われるかもしれませんが、なぜ平和憲法を支持し戦争に反対するかの原点はそういったところにあります。死ぬということはどういうことか、それはとても悲しくて恐ろしいことなのです。日本人だけじゃなくて、イラクの子どもだってそうなんです。北朝鮮出身の家系の子どもたちが日本でいじめられていますが、とんでもない話です。北朝鮮の政府には私は大いに批判的ですが、子どもに罪はありません。また、日本に無理に連れてこられた方々の子孫がなぜいじめられるのでしょうか。そのことの「痛み」を感じます。私はあと三十分で死ぬ時、本当に死ぬのかなと、よくわかりませんでしたが、たいへん苦しかったのを覚えています。どの心臓でも、動いていることの大切さ、命そのものの痛み、そこから私の世界詩想は出て来ました。
 九条の話まで及びましたが、今まで経てきた時代と個人的なことを書いた詩をいくつか朗読させていただきます。

   ―詩「税関」朗読―
〈しばしば私は自問した、大洋の深さと人間の心の深さ、/どちらが容易に探索できるだろうと!〉
        ―ロートレアモン「マルドロールの歌」―
疑うのが仕事だとしても世界の道/〈裏〉を担当するあなたは必要悪ではないだろう//パリ市税関吏出身の画家ルソーなんか/航海士だった画家ゴーギャンに才能を見いだされたし/あなたの中にもきっと海のシュルレアリストがいて/マイナス思考と規則ずくめの勤務の顔も/家に帰れば別人だろう/ちょっと友人のような気がして//(何か申告するものはありますか)/はい、人生を申告します//(どちらから)/母の子宮でございます//(滞在期間は)/夢の続くまで//(どちらにお泊まりですか)/太陽系第三惑星であることは分かっています//渡ってきたのは塩辛い波でした/船出してすぐ/仲良くするのが大切と実践/陸がかすむ頃に一転今度は/弱肉強食だ蹴落とせとせきたてられて鬱になり/積極性をと言うので本音をもらしたら/生意気だと怒鳴られて/そうこうしているうちに大海原の真ん中あたりまで/働き、働き/とにかく必死でやってきたのです//おかげさまで反骨心とかいう真珠を見つけ/カナシミ・セレナーデ調のワカメも体中にはりついて/イカスミ諧謔も覚えました/沈没しそうになった時は/アザラシが詩歌文学を運んでくれて/人魚といっしょにアンデルセン/ところがクラゲも真っ青のシステム電波が流されて/テレビジョンがパックリと時代の船を飲み込んで/バブルホウカイやらワンガンセンソウやらイラクやら/エイズにカローシ、コドクシ、リストラ、ヤスクニ/年金かけ金タカイタカーイ、健康保険タカイタカーイ/オゾン層に穴が空いて星はまるごとオンダンカ/カクサ、カクサで格差を書くさ/ハロー、ハロー、ハローワークな現実万歳!/嵐なんてもんじゃなかったですよ//なんてね 話せたらいいのにね//(何か申告するものは)/ありません//(お疲れさまでした お出口はあちらです)/お疲れさま 公務員さん/時代の出口で会いましょう

   ―詩「夕焼け空の邂逅」朗読―
〈一概には言えないが 傾向として〉//高校の世界史教師は人のいい顔で言った/〈暗い時代には喜劇がはやり/繁栄期には悲劇がはやる/悲しい時は人は笑いたくなるし/楽しい時は泣く余裕があるんだね〉//なるほど。//わりと好きな先生だったから/いい話を聞かせてもらった/と 目でエールを送ってから/十七歳のぼくは心の声に耳をすました//悲しいからこそ泣くんだよ/うれしいからこそ笑うんだよ//高校の帰り道は森だった/小高い丘にひとりすわって/詩を書いた/(なぜ自分はこんなに寂しいんだろう/なぜ世界はこんなに冷たいんだろう)/南横浜の赤紫の夕焼け空が友だちだった//死ぬわけにもいかず、二倍の年月。//週に一度の貴重な休日/大阪の赤紫の夕焼け空に 今日/懐かしい雲を見つけた/十七年かけてここまで流れてきたのだろうか/そこにはあの世界史教師の人のいい顔/まじまじとこちらを見つめて/どうやらぼくの哲学を聞きたがっているようだ//なるほどこの暗く悲しい時代にあって/希望を語っている/平和じゃない世界で平和への声をあげている/なるほど確かに/〈悲しい時は人は笑いたくなる〉//でもね 先生/それは〈喜劇〉じゃないんだよ/そこのところのニュアンスさ/十七歳のぼくが大人の考えについてゆけなかったのは。//三十四歳のぼくは微笑んだ/今日ぼくの心は夕焼け色だ//先生/と また呼びかけて/ぼくは先生の口調で言った//〈一概には言えないが 傾向として//生きていてよかったよ〉

   ―詩「おばあちゃんとハイカラ・ランデヴー」朗読―
伝説の手打ちうどん/海苔とねぎのしょうゆづゆからすくいあげ/ずずっと体内へ/ねばねばしながらぼろぼろ切れる意外な展開/大正ロマンの洋風歌舞伎か世界の秘境の神秘の味か/〈ポークジンジャー〉って/豚肉しょうが焼きのことか/祖母の魔術/鳩サブレーをかじりながらイギリス紅茶/祖父の好きな大相撲のテレビの上には西洋画/〈お風呂がわきましたよ〉/江戸文学のような木製の風呂ふたの匂い/外ではヒグラシがカナカナカナカナ/夜はみんなでトランプだ/あの家は祖母の横浜趣味だった//さあ行きましょうか、おばあちゃん/近くの大船撮影所で好きな寅さんに会って/釜利谷ではほらあそこ、少女のあなたが歩いています/港の方なら若い頃の芝居小屋や映画館/おばあちゃん、どれを観ましょうか/学問好きで本好きで芸術好きなあなた/ぼくが北陸の安宅の関を歩いたと言えば/義経、弁慶の伝説がすぐに口に出る古典好き/ぼくが韓国を旅して感動したと言えば/〈大丈夫かね、向うの人は恨んでないかね/昔日本はずいぶんひどいことをしたからねえ〉/ぼくがイラク戦争や九条のことを詩に書いたら/〈平和とか政治とか表で言ってしまって/けんちゃんが心配だよ〉//女に高等教育はいらないなどと戦争ばかりのあの時代/見合い結婚で教師兼畑仕事の夫を助け三人の子を育て/あなたは頑張りました//ハマのチンチン電車は銀河鉄道ならぬハイカラ列車/手打ちうどんの味がする魔法のランデヴー/おばあちゃんの見てきた夢が/ずずっとぼくの中へ、そして世界へ/一九二〇年大正九年生まれ、もうすぐ九十歳/おばあちゃんの笑顔をぼくが上映する

   ―詩「チンチン電車」朗読―
青白い波止場/倉庫や船の電光、工場群、ホテル、役所ビル/桟橋は外国まで続いているのだろうか/ガタンゴトン ガタンゴトン チンチーン//〈憲一の憲は平和憲法の憲〉/憲法記念日の翌日の、こどもの日の前日の/この世にとび出した男の名前/革新自治体ならではの夢の命名か/父母の短いロマンスをその身に残して//アーケード商店街でシュウマイを買って帰ろう/ロマン派の母に手を引かれる幼児/無頼派の父は横浜駅東口の郵便局員/高速道路がなかった通りは港の気配/霧の桜木町方面は雑草地帯/山下公園も中華街もフランス山も伊勢佐木町も/あやうい時代の流れを止めてうたっている/幼児の入院も父母の離婚もまだ先のことだ//どぶ川沿いの市バス車庫/雨の日曜日に靴の中もぐちゃぐちゃだ/横浜市電保存館入館料百円なり/大阪から日帰りの物好きな男一人/四歳の一九七二年に廃止された車両に乗り/さっきから座ったままだ/ガタンゴトン ガタンゴトン チンチーン//海の匂いだね

   ―詩「波音 Ⅱ」朗読―
〈お父さんさ/ 海が好きだからさ/波の音 カセットにとって/夜 聴くんだよ/〈ザザーッ ザザーッ〉//横浜の大桟橋で父は言った/一九八一年夏/冴えない服を着て/すっかり穏やかになって/離婚後七年/何度か会ったが今ようやく彼を/中学一年のぼくは許した//飲んだくれて家に給料を残さず/最後には酔っぱらって母とぼくを殴った/幼い記憶のスクリーンに/父母が愛し合うシーンはない//結婚前にぼくが宿って/一九六七年頃の騒然とした反戦革新モードの巷/母のよく読んだ太宰治のような郵便局員の父と/いっときは革命的な熱愛だったか/ぼくの種はどこの寝床で宿ったか//ザザーッ ザザーッ//父とぼくは何を話していいかわからず/沈黙はけれど苦痛ではなくて/まぶしそうにぼくを見る父の/新しく築いているらしい家庭はきっと幸せだろうと/ぼくが親のような祝福さえ胸にわいて/波止場を歩きながら波音を聴いた//ぼくは母の海で育った/浜辺は女性の親しみであり/小学校中学校では女の子にもてた/男の子とも仲良く泳いだが/大人になっても上の世代の男たちには身構えてしまう/父を何度も殺した幼年の内なる嵐のせいだろうか//ザザーッ ザザーッ//一九八一年夏/横浜港で/海は好きな父と 海が好きなぼくが/洋楽が好きな父と 洋楽好きになっていくぼくが/酒好きな父と 酒好きになるぼくが/革新派の父と 革新派になるぼくが//家庭を壊してまた新しいのを見つけた父と 独身が続くことになるぼくが/大学出が嫌いな父と 大学時代から働いていくぼくが/極左的な父と 共産的になるぼくが/ずっと神奈川で暮らす父と 流浪のぼくが//父と息子が//波音を聴いていた//ザザーッ ザザーッ

 今まで話してきたことの全体が「いまなぜ詩なのか」の私なりの回答です。皆さんそれぞれに感じ取っていただければと思います。ありきたりの言葉ですが、深い言葉でもある、「夢」という言葉を、私は生涯大事にしたいと思います。詩を書いている人や、詩を愛好する、詩を読む人というのは、どこかで夢を大切にしているのではないでしょうか。悲しい詩も明るい詩もいろいろありますが、この世の中のがんじがらめの現実、それは変えなければいけませんが、しかし、その中でも人と人が心で感じあうことの大切さ、全く遠くにいて世代も違ったり出会うこともありえなかった人と人が詩一篇でつながることの奇跡、私はその奇跡に生かされてきました。殺伐として、心が見えにくいこの時代だからこそ、夢につながり、世界と心の本質を伝える「詩」というものがいっそう大切になっているのではないでしょうか。
 皆さんへのメッセージとして「夢」に関する短い詩を朗読しますが、タイトルは「墓」です。えっ「夢」でなんでお墓なのかとお思いでしょうが、聞いていただければ、今生きている、長年生きてこられた方々へのメッセージも含めて書いていますので、夢が伝われば、と思います。
    
   ―詩「墓」朗読―
煙は幻なんかじゃない/土の声が聴こえるんだ//船酔いばかりの生涯だって/ひとりひとりの航路はまぶしい/今日はあなたの復活祭だ//〈俺にも言わせろ〉/〈あたしにも言わせて〉//そうそう、そうこなくっちゃ//おばあさん/今日はどちらまで/〈ええ 初恋をやり直しにちょっと波止場まで〉//おじいさん 今日はどちらまで/〈おお 革命をやり直しにちょいと酒場まで〉//古びた写真にはっとするように/失われた時間を未来へつなぐ/人間に生まれたのも何かの縁だ/あなた方とお話しすると/人生が二倍にも三倍にも大きくなるようだ//つらい時は墓に来る/ここでは誰も/夢を笑わないから

 私は港町横浜で生まれ育ち、港町大阪でも暮らしました。今住む東京にも港があります。日本海、韓国語で「トンヘ」東海と書きますが、こちらの海の地帯も大変好きです。もう父とは会うことはないけれども父方の祖先を遡ると、新潟の直江津あたりに行くことがわかっています。今まで四十七都道府県と世界二十数カ国を旅してまわりましたが、どこでも海が好きです。そして、皆さんとこうして海の近くの地方で会えたのも、海の詩ごころが引き寄せたご縁ではないかと思います。親しい所に住んでおられる皆さんへのメッセージとして、「裏日本」という詩を読みます。

   ―詩「裏日本」朗読―
荒れているようで/うたっているのです//断崖のウミネコ/さざえの味がする現代の命の風/青白い近代が遠い青春だとすれば/照らされ続ける本質は人生の古代です//ずっと前から海は海/こちらとあちら/心は行き来してきましたから/ほら 今日の向こうに何かが/突端に立たないと見えません//絶壁の交響曲/とびおりるんじゃなくて/広いところへの新しい神話/見果てぬ人類の無言の縁結びです//〈裏日本〉/ほめ言葉です//裏切りや裏金や裏口入学じゃなくて/裏通りや裏町の/素顔/人生にはどこかに裏があって/本当のほほえみが交わされるのは/そんなさびしいところだったりするのです

 これまでいろいろな土地で講演させていただきましたが、最後に朗読するのはいつも夕焼けの詩です。今日は外は夕焼けが見えませんが、言葉の夕焼けを受けとってください。

   ―詩「赤いくれよんの時間」朗読―
夕暮れ時が好きだ/空がこどもに帰るから/辺り構わず赤いくれよんを塗りつけて/風がハーモニカを吹いていくから//夕暮れ時が好きだ/裏通りの野良猫がすてきに見えるから/影の体温に/塵まで赤く染まるから//夕暮れ時が好きだ/街に夕食が香るから/ホモ・サピエンスが現れ/疲れた満員電車にも平和な共存が見えるから//太陽は落ちたりしない 沈まない/旅をするのはこの地球 円を描いて/海の夕陽 大地の夕陽 山の夕陽 街の夕陽/アフリカ・サバンナの夕陽 ノシャップ岬の夕陽/横浜・港南台の夕陽 東京・西早稲田の夕陽/ソウル駅の夕陽 ミャンマー・パガンの夕陽/ベルリン・アレキサンダー広場の夕陽/大阪港の夕陽 京都・桂川の夕陽/雨上がりの夕陽 快晴日の夕陽/まわる季節 それぞれの こころ/琥珀色 こがね色 桃色/朱色 あかね色 深紅 赤紫/朝焼け 夕焼け/出会いと別れの球体に/いのちのくれよんは抒情詩を書きつける//夕暮れ時が好きだ/公園に 約束が響くから/じゃあね バイバイ またあした/遠いわらべうたが帰ってくるから//夕暮れ時が好きだ/窓ガラスに想いが映るから/赤いくれよん風景の中では/あなたを想う私が 滑稽に見えないから

 今日は、ありがとうございました。

*本講演記録は、中林千代子さんによるテープ起こしをもとに整理・加筆したものである。代表・稲木信夫さんのお世話で「水脈」次号にも抜粋が掲載される。記念講演への過程でお世話になった浅田杏子さんをはじめ、関係者諸氏に深く感謝御礼申し上げる。

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詩「真夏の抒情詩」  コールサック67号より

八月の午後の風
照り返す幻

駆け込み寺には
海いろを闇に刻んだアオスジアゲハ
行き場のない人の
消えていった願いのように
夏祭りの喧騒の
ほんの少し外側で

鳶が海を知らせて
トンボが秋を予感させる

いつだったか、これからなのか
鮮明な
時間のしぶき

名場面になりそうな恋は
肝心のところで
互いに

セリフを間違える

風に揺れるわかれ道
どこかの恋人たちが
レモンいろのアゲハを舞っている

人生はミヤマカラスアゲハかもしれない
闇を耐えるうちに
青緑に光り
静かに激しいものがはばたいて

巨大なものに追いやられた者たちの声がする
寺も神社も教会も史跡も石碑も書物も画像も
〈この人たちはすでに亡くなっている〉
皆わたしのなかに飛んでいる

クロアゲハのはねの
血のいろの模様は
きっと
わたしたちの絆

八月の陽だまり
〈静かですね〉
語りかけるのは
いまもどこかで生きる
仲良しだった女の子だろうか
それとも愛したあの人だろうか
あるいはわたしが生まれるずっと前
駆け込み寺でひっそり暮らした人だろうか
戦の世に出家した人だろうか
被爆者を看取った人だろうか
罪深い日本兵士の子をそれでも育てた中国の夫婦だろうか
あるいは
今年ヒロシマ・ナガサキに来たヨーロッパの青年だろうか
いまどこかでこれを読んでいるあなただろうか
ひょっとして
わたしがもういないずっと後の人だろうか

アオスジアゲハ、アゲハ、ミヤマカラスアゲハ、クロアゲハ
二十二世紀にもきっと飛んでいる

けれどいまは
秋はもう少し待ってほしいのだ
永遠は夏にふさわしいから

そうして夢に手をあてて
夕焼けのなかを
また
海へ行く

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