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2011年4月26日 (火)

旭川講演「21世紀に生きる今野大力」

不屈のプロレタリア詩人
 今野大力没後七五周年のつどい・記念講演
 (2010年11月13日・
      旭川市ときわ市民ホール・110名参加)

21世紀に生きる今野大力
                 講演・佐相 憲一

はじめに
 

 旭川の皆さん、また北海道各地の皆さん、こんにちは。最大級の紹介を頂きましたけれど、そんなに立派な人間ではないのでリラックスして聞いて下さい。今野大力の没後七五周年ということですが、今まで様々な方が今野大力の闘い、詩、心を後世に伝えようと努力されてきました。文献史的な研究、闘いの研究などはいろいろ発表されていますので、今回はちょっと趣向を変えまして、今野大力の詩作品そのものの魅力を中心に、今の時代にもどう生きるのかという観点でお話をさせて頂きます。私は詩の朗読をいろいろやってきましたので、今野大力の詩をたくさん朗読させていただきます。耳でも感じて頂いて、ご一緒に今野大力を偲ぼうではありませんか。
 

私と今野大力
 

 私自身、今野大力とどういう関わりがあるのかからお話をしたいと思います。私は一九六八年の生まれです。五月四日でしたが同じ五月にはベトナムとアメリカの和平会談の道が初めて開かれました。しかしベトナム戦争は泥沼化してどんどんひどい状況に進む、そういう最中に生まれた者です。横浜は革新自治体でした。社会党や共産党や無党派の革新の人達が大変勢いがあって、市民の力でベトナム行き米軍戦車を止めたという快挙もニュースになったところです。そういう所で生れましたが、時代は激動していきました。
 この旭川に今野大力の詩碑が出来た一九八五年、私は一七歳でした。詩碑のことは知りませんでしたが何と偶然この年に、また詩碑の建った数カ月後です、私は詩を書き始めたのです。今野大力も調べてみますと一七歳位で詩を書いています。こういった共通点に共感します。高校二年生でしたけれども時代は激動していて米ソの冷戦が深刻になっていました。
 世の中を変えるなどそういったことはもう時代遅れだという大変ひどい教育を受けた世代です。閉塞感がだんだん社会を覆って来て、私は母子家庭だったものですから、世間とのいろいろな矛盾にも敏感で、生き方を模索していました。全国で校内暴力が深刻になって学校が荒れて来た時代です。
 そんな時に詩と出会って、プロレタリア詩というよりは、もっと広く抒情詩や世界の詩とか、いろいろな詩を読んで詩の世界に入って行きました。
 さらに一〇年後です。一九九五年、私は二七歳でしたが、『今野大力作品集』が出ました。新日本出版社刊で私の持っているこの本は初版です。興味を持って買いました。それまで詩はたくさん乱読して世界中の詩を読んでいましたけれど今野大力の詩を読んで大変新鮮な感動がありました。人間の弱さと強さを全部さらけ出して生きる者として闘う者として詩を書いている。偉大な詩人を発見して、私はその時も詩を書いていましたけれども、視界が広がっていくような、開けたような、そういった感動を覚えました。
 それから、二〇代の後半から三〇代にかけて、いろいろ転々としました。人生に迷った時期でもあります。その時に北海道に一人旅をしまして、稚内近くの抜海という港で野生のゴマフアザラシに出会います。私はゴマフアザラシが大好きなんですが、何で好きかと言いますと、かわいいからというだけじゃなくて、その生き方が地球の二一世紀のこれからの人間の生き方に対するメッセージを贈っていると思ったからです。どういう生き方かと言いますとゴマフアザラシは北の方に住んでいますね。アムール川が中国とロシアの国境に流れていますけれども、これは愛、ラブですね、愛という言葉に繫がる語源だそうですけれど、このアムール川付近と言うのは血生臭い戦争が繰り返されてきたところです。そのアムール川が海に注いで、温度の変化で流氷になるのですね。まあ、北海道の皆さんは聞きなれた話だと思いますけれども、その流氷が北海道に流れてくるのにゴマフアザラシは自然と乗っかって来るのですよね。誰が仕組んだ訳でもなく、そういう生態系というのはすごく不思議なことだと私は思います。ずうっとそうやって毎年、北海道に来て子どもを生んで、そして、そこから独立してカナダの方へ行ったりロシアの方へ行ったりして生きているのですよね。国境なんてものはありません。戦争もありません。懸命に暮らしているのです。「人は何をやっているのか」と人生に迷った時、雪の中のゴマフアザラシの野生の姿に感動しました。
 その時ふらっと来たのが旭川です。それが私の旭川との出会いでした。その時すでに大好きだった小熊秀雄、今日は小熊の話はしませんけれども、小熊秀雄の詩碑と仲良く今野大力の詩碑がありました。その詩碑の部分だけ、皆さんご存知ですけれど朗読します。
 まずは小熊秀雄ですね。

   小熊秀雄「無題(遺稿)」より

〈こゝに理想の煉瓦を積み/こゝに自由のせきを切り/こゝに生命の畦をつくる/つかれて寝汗搔くまでに/夢の中でも耕さん〉

 と言う五行ですね。これは彼が死ぬ間際に書いた詩だそうです。詩碑の文字は私が所属している「詩人会議」を始めた壷井繁治さんの字なんですね。私は小熊の詩が好きでしたから読んでいましたけれども、ゴマフアザラシを見て、一人さまよっていた頃それを見た時、やっぱりちょっと涙が出てしまいました。
 その近くにあるのが今野大力の詩碑です。

   今野大力「やるせなさ」より

〈詩人が時代の先駆をした/詩人が郷土を真実に生かした/そんな言葉が私の耳に流れては来ないかしら/そんな言葉が地球のどこかで語られる時/私のからだは墓場の火玉となって消えるだろう〉
   
 これもすごいですよね。今野大力の詩は勿論読んでいました。けれど私は文献史学者ではないのでこの詩は弾圧されて死ぬ時に書いたのだと錯覚していました。はたちの時に書いた詩なのですね。はたちの頃から、こんなにも物事を見通すことが出来たのかと思いますね。
 この二つの詩碑が私に示してくれたものは、ひとつは詩文学というものの素晴らしさです。詩なんか無くて社会の政治経済だけ良い世の中になったとしても私たちは幸せでしょうか。そうは思いません。私は昔フランスに亡命しようかと思ったことがありました。お金をためては行っているのですけれども、フランスは大学まで学費はほとんど「ただ」です。コマーシャルに乗った生き方よりも、それぞれの人が自分の哲学をもって語り合ったり愛し合ったり、そして労働条件を改善して、余暇をいっぱいとって、そういう生き方ですよね。そんなフランスの人達は詩が好きです。暮らしの中に詩が入っている訳です。やはり詩とか歌とかそういうものが無かったら人間生きていてもつまらないのではないか。その詩の素晴らしさを、生き生きとした言葉で、ずっと昔に死んでしまった二人の詩人が旭川の詩碑で教えてくれました。
 もうひとつは、生きる者へのメッセージです。「今の世の中で良いのか。」「何もしないで生きていて良いのか。」やはり時代の先を見て自分でもペンの力で書きたいことを書く。本当のことを叫ぶということを小熊秀雄と今野大力に教わった気がします。このような出会いですから、私は旭川にこだわって毎年来ているのです。それくらい私にとって特別なまちと公園です。  

二一世紀と今野大力
 

 さて、今野大力の詩は二一世紀、これからの世の中にどういう光を放っているのか、皆さんと見てみたいと思います。
 四つに分けて指摘したいと思います。今まで今野大力の研究では、いわば「顕微鏡」のような研究は盛んに進められてきました。私もその研究に学びました。つまり今野大力がいつどんな詩を発表して、どのような関係者がいて、東京にいつ行って弾圧されたのは何月でと詳しく見る作業ですね。
 私もそれらに学んだのですけれど、今度はは少し突き放して「望遠鏡」で今野大力を見てみたいと思います。今野大力を知らない、社会運動とか全然知らないけれども詩に関心のある人に今の世の中で、大力の詩が「ぽん」とあったらどういう力があるのか、遠くの方から「望遠鏡」で少し見て行きたいと思います。

今野大力の詩の今日的魅力①
 

 まず一つ目です。今野大力の詩は社会派でありながら「心」ハートですね、心を潤すナイーブな抒情性があります。私が今野大力に惹かれたのもそういう点です。私も大した人間じゃないし弱い人間です。抒情が無ければ生きていけません。何でも正しい方向に「すぱすぱ」と力強くスローガンのように生きていけるかというとそういう人間ではありません。そういう人間ではない私が今野大力の詩をおすすめする第一は抒情性です。作品を朗読します。

   こころ

〈こころ こころ/くるしいこころ/痛みては傷つくこころ/何人とものを語るも/何人に慰められても/扉ひらかずわがこころ〉

 これで全文終わってしまうのですね。でも私は、これは良い詩だと思います。今の世の中を見て下さい。最近大阪で起きた事件で、お母さんが離婚して子ども二人を育てて、風俗で働いていて、孤独で心が荒れて、忙しすぎて、子ども二人をほったらかしにしてしまって、子どもが死んでしまいましたよね。これは氷山の一角で、心に何かを抱えている人がたくさん、若い人を中心にいますし、また福祉制度が悪化しているから高齢者の方も含めてたくさんの苦しむ人々が今の日本に住んでいます。自分の心を他の人に伝えて一緒に何かをやって行こうという世の中ではなくなってきているのですよね。そういった下で、今、もし心を閉ざしているひきこもり気味の人がこの詩を読んだら、どう思うでしょうか。「ああ、自分の気持ちじゃないか!」と思うのではないでしょうか。〈何人とものを語るも/何人に慰められても/扉ひらかずわがこころ〉。これは心を病んだ人だけでなく、誰でもどこかでぶつかることかもしれません。今野大力の詩にはこういった魅力もあります。
 次に「泣きながら眠った子」を読みます。

   泣きながら眠った子

〈何て騒々しい声だろう/この場合の人間の泣声は決して同情に価しない/あれはちいちゃい四つの女の子の泣声だが可愛そうにも/考えられない/ただうるさい/騒々しい/泣かないでくれればいい/もう沢山だ//心の中でいくら/願ってみたって何もならぬ/子供は少し熱があって/からだがだるくって/消化不良のせいもあるし/気分が悪いんだ、/どれを見てもきいてもいまいましいのだ/よっぽどよっぽど/気分が変わらない限り/泣くより外に仕様も見つからないのだ、/泣くのはうるさい/だがそれは子供がからだの工合を/悪くしているから訴えるのだ、/からだをなおしてやらずに/どなったってしようあるか//ああとうとうねちゃった、/泣きつかれて/転んで泣いたまんま/古畳みの上で/何にも敷かずに、何にも着ずに、/だだをこねながらねむっちまった、〉

 前半は親の疲れている気持が正直に出ていると思います。やはり日々忙しくって子どもが泣いていると「うるさい」と思ってしまう。だけれども途中から変化して子どもの側に視点が移って行った時に本当にしみじみと、お父さんの気持が出た優しい詩です。しかも私たちは今野大力の略歴を知っていますから今野大力が愛する人と結ばれて東京で一生懸命プロレタリア文学の雑誌の編集をしていて、そして、子どもがめでたく生まれるのですけれども貧しくって弾圧もあって暮らしは苦しいのです。そんな時、子供が泣いている、薬も買ってやれない、そういう気持がすごく出ていると知っていますから、なおさら良い詩と思います。でも、そんなことを知らない人が読んでも、忙しい親の子どもに対する気持ちがよく出ていて普遍的な良さもあるのではないか。この詩は、私が特に好きな詩です。
 私は最近まで大阪で小さな学習塾で教室長をやっていたのですね。学校登校拒否の子どもなんかをみていましたから、どうしても子どもに目が向くのですが、もう一篇、子どもの詩を読んでみたいと思います。

   幼な子チビコ

〈チビコは今年三つになりました、/チビコのお父さんは肺病でねています、/チビコのお母さんは又稼ぎに行くと言っています、/稼がなければ食べられないから/チビコはある晩ばあちゃんに抱かれてねながら/「メメが痛いメメが痛い」とパッチリ目あけたまま/泣いて泣いて眠りませんでした、/そして翌日、ゲッゲッと食べ物を吐き出しました、/メメは目ではなく腹のようでした、/「チビコお父っちゃんあるかい」/「ある」/「チビコのお母ちゃんバカだね」/「かあちゃんバカないバカない」/チビコは熱心に言いました、/チビコは親の手でだけ育ってはいないのです、/父ちゃんはもう一年も前から遠い施療病院の病床にねたきり/母ちゃんは稼ぎに出かけて留守、/チビコはばあちゃんのふところに入ってねるばかり//チビコは靴を買ってもらいました/母ちゃんが稼いで買ってくれたのです、/チビコはまだ淋しい事を知りません/チビコはひとり遊んでいます、//父ちゃんは肺病、/母ちゃんは稼ぎ、/ひとりで遊んでるチビコは風邪を引きやすい子です〉

 泣かせる詩だと思います。おそらく、これも大力自身の子のことを書いたのではないでしょうか。自分が胸の病気で死ぬかもしれないという時に、子どものことをわざわざこうやって詩作品に残す。ここがすごいところだと思います。同じような気持ちを持っている方は今もいると思うのですけれども、それをきちんと文字にして詩作品として残すことで、後世の私たちを胸が温かくなるような切なくなるような気持ちにさせてくれる、ここが今野大力の詩人たる所以ではないでしょうか。
 今、述べましたのは抒情という観点です。今は心の闇の時代。自殺者が三万人以上います。ネットカフェ、いろいろ名称は変わっていますが、今、私は東京に住んでいますから特にわかりますけれどネットカフェで黙々と誰とも交渉しない、どこで日々暮らしていいのかわからない若い人はそこで暮らすしかありません。幸いネットカフェは料金が安いですから千円、二千円で一日中、カップ麺などを食べながらずっとそこにいるのですが、全く会話が無い。心が闇に閉ざされちゃってどう生きようかわからない。そういった時代に今野大力の詩は心を潤してくれるのではないでしょうか。
 もう一篇読みます。「ヌタプカムシペ山脈の畔り」という作品です。これは「ヌタップカウシぺ」というのが大雪山のアイヌ語名かと思うのですけれど何故か大力は「カムシペ」と書いています。これは方言なのか日頃からこの辺ではそう言っていたのかはわかりませんが、大雪山のことですね。

   ヌタプカムシペ山脈の畔り

〈色づく木々の丘の上の林へ/今日一日私は出かけた/めずらしい晴天である/葡萄の葉と楡と、楢と栓とそれらみんな色づいて来た/最早すべて葉を落としたものもある/つたをたぐって丘に登る時/私は愉快である/登って下見下ろせば又愉快である/みごもった稲田を広い平野の端から端へ/見てゆくのも愉快である/いろんな野菜の収穫の終わった畑も/今は黍と芋蔓がしょんぼりと残っているのみで、/麓の清い澄んだ流れは紅い木の葉を浮かべて流れている/木の葉を蹴って狭い山路をゆけば/どんぐりがころころといくつもいくつも転んで行く/ある処は焚火の跡もあり/弁当を食べた空箱もある/私は見晴らしのいい処を探ねて行った/そして帰りは/タバコの空箱を拾って/どん栗を入れて/弟と妹のお土産とした。〉

 ちょっと日記調の詩で、ひょっとしたら現代詩の偉い人が見たら「こんなのは詩ではない!」とか狭い見方をするかもしれませんが私はそうは思いません。単純に書いているようで、まずタイトルの「ヌタプカムシペ山脈」、戦前の暗黒の大日本帝国に暮らす若い詩人がアイヌ語の呼び名で詩を書いていること、これだけでもひとつの発見です。しかも、そこをこの人は愛していて、何だかわからないけれど気分が良くって大雪山の辺りの自然が好きでどんぐりを入れて弟と妹のお土産にするのですよね。これこそ詩の心ではないでしょうか。私は現代詩のただ中に、この詩を出してもちっとも恥ずかしくないと思っています。

今野大力の詩の今日的魅力②
 

 二つ目の特長です。今野大力の詩は国際的な連帯の目を詩の中に持っていた先駆性があると思います。人の苦しみや悲しみを国境を越えて民族を超えて感じる知性。テレビも情報もない時代にアジア全体の中で誰が悪さをしているのか、一体向こうの民衆と自分たちの暮らしはどんな関係にあるのか、そういったことを鋭く見抜いていた国際的な詩人だと思います。ご存知のように当時日本は軍国主義で偏狭なナショナリズムを煽っていました。満州事変が始まってどんどん中国を侵略していく。一方ではもっと前から韓国の人達を言葉まで奪って植民地化していました。これは誰も否定できない事実です。そんなのは無かったとか韓国の人が求めたとか、今そう言う人が一部に出ていて、それを教科書にも書こうとしていますがとんでもないことです。私は韓国が好きで何回も一人旅をしましたが韓国の人は日本人に反日感情など持っていません。ただ、相手が認識が不誠実で歴史の真実を見ていないとわかると、正当に主張してきます。全然反日的ではありません。あたりまえのことです。私はそんな現代に、今野大力があの当時すでに日本の政府が企んでいた侵略戦争の本質を見抜いていた、そういう人がいたという、そのことを強調したいと思います。韓国の人達にも伝えたいですよね。
 今野大力の最高傑作とも言われています作品を朗読します。

   凍土を嚙む

〈土に嚙りついても故国は遠い/負いつ 負われつ/おれもおまえも負傷した兵士/おまえが先か/おれが先か/おれもおまえも知らない/おれたちの故国へ帰ろう/おれたちは同じ仲間のものだ/お前を助けるのは俺/おれを助けるのはお前だ/おれたちは故国へ帰ろう/この北満の凍土の上に/おれとお前の血は流れて凍る/おお赤い血/真紅のおれたちの血の氷柱/おれたちは千里のこなたに凍土を嚙む/故国はおれたちをバンザイと見送りはしたが/ほんとうに喜んで見送った奴は/おれたちの仲間ではない/おれたちは屠殺場へ送られてきた/馬/豚/牛だ!/いつ殺されるかかも知らない/おれたちは今殺されかけている//おれたちは故国へ帰ろう/土に嚙りついても故国は遠い/だがおれたちは故国へ帰ろう/戦争とはこういうものだ/戦地でおれたち仲間がどうして殺されたか/あんな罪もない者を/殺すのがどんなに嫌でも/何故殺せと命ずるのか/殺す相手も/殺される相手も/同じ労働者の仲間/おれたちにはいま仲間を殺す理由はない/この戦争をやめろ//兵士は故国へ/おれたちの仲間/中国の仲間/そしてソヴェート・ロシアの仲間の/共同の戦線こそ勝利を固めよ//おお おれたちは今銃創の苦しさに凍土を嚙み/傷口から垂れた血の氷柱を砕きつつ/故国の仲間に呼びかけたい/おれたちは故国へ帰ろう/お前もおれもがんばろう〉

 すごいですよね。あの時代にこの詩を書いているんですよね。これぞリアリズムと言いますか、想像リアリズムと言いますか。旭川の皆さん、アジアの人達に今野大力のこの詩をプレゼントしてはどうでしょうか。ソ連は残念ながら今野大力が信じていた当時から裏切っていて社会主義じゃない道にスターリン時代から行っていた訳ですから、それを考えると今野大力が可愛そうになって来るのですけれども、それでも労働者はどの国の労働者も仲間だ、戦争はやめろ、というこの心は生きています。
 それから、先ほどアイヌのことを「ヌタプカムシペ山脈の畔り」のところで少しお話ししましたが、大力は宮城の血を継いでいますが基本的に旭川の人ですからアイヌの人と文化に接しているのですね。特にアイヌの詩をたくさん書こうとかそういう感じの人ではないですが、和人とアイヌとの歴史を認識していることが感じられます。ちょっと読みます。

   郷 土 
      1
〈草深い放牧地よ 北海の高原に群がれる人々を養える郷土よ/北海道よ 未開地よ/ここには名もなき小花も咲くであろう/未だ人手に触れない谷間の姫百合も咲くであろう/春ともなれば黄金の福寿草も咲くであろう/かくてアイヌ古典の物語も思い出されるであろう〉
     2
〈おお郷土の人々よ/昔は卿等が渡道の頃は 何処にも熊は住んでいた/時として卿等よ 憶い起こしてはならない/あの殺伐な熊狩りのあたりのことを/又若き人々よ/あまりに華やかさを粧うてはならない/卿等の親達は あの幾千年以前から住みなれた故郷を捨てて/一意に 荒野の生活憧憬れて来たのだから/ここでは凡てが自然の素朴であらねばならない/煤びたセピア色もて彩られた家は/最も卿等は住家であらねばならない//おお郷土の人々よ/卿等は自然の人である/卿等は自然の法による/敢えて立法博士を要しない/自然は最も自由な さて正確な立法者である/土に生れて 土に還る それは真に意義ある生命の時である/卿等のかばねは卿等のけものは 卿等の小花は//ああ 自然の不滅にあらぬものは すべて朽ち果てて/豊沃なる土となる/かくて永遠に還りゆく……〉
     3
〈日本否世界の 神秘派の 古典派の人々よ/此処には珍しいものがある/木の皮の織物 余韻の歌謡 雑木の彫刻 それら皆露わなままに/虐げられたアイヌ人種の生み成せる まことに尊い芸術である/我等はシャモは これ等見なれて尚飽くなきものの為には あらゆる賛美の言葉を惜しまない。〉
     4
〈ああ オオツク海よ 太平洋よ/氷山流れて港をうずむる 融雪のころ/白熊のうそぶく千島の彼方は アラスカの洲 北極の圏 永遠の冬/我等の郷土はここにある。〉

 北海道にお住まいの方は、北海道を愛するとか旭川を愛するとか、そんなわざとらしいことを考える機会もないかもしれませんが、おそらく愛していらっしゃると思います。そういった方々にも響くアイヌを賛美した詩でした。
 国際的な目ということを考えると、今野大力はコミュニストになりましたけれども、世界の平和はいろいろな違った思想の人達が手をつなぐことによって実現します。思想が違うとか、宗教が違うとか、共産系とはいっしょにやらないとか、そういう偏狭な考えは時代遅れです。大力にはキリスト教に憧れていた時代があります。教会の辺りをうろうろして、若い頃の詩にはキリスト教のようなところがあってそこもまた魅力になっています。そんな詩を一篇読みます。

  聖堂の近くを過ぐる
 
〈ポプラの梢の空高く大空を指さして/厳かな聖き自然の力を現す/幹はだの荒くれた並木の下に/ヘブライ文化の主流である/キリスト教の教会堂が建っている/私は毎日その近くを過ぎる/そして神秘な古典の物語を思い出し、ありし昔の日の幾多重ねた争闘の人間に与えし歴史を憶う……/人間と言う極まりない霊魂の所有者はかくして永遠に/血を浴びて闘わねばならないか/宇宙の覆滅/人類の滅亡/ああその日までどんな歴史を作るのであろう/今朝公会堂の前にはこすばかり/疲れしけものの野心なき眠りの如くに/ほんのりと軟らかな雪が積もっていた/そして未だ誰も蹴散らしたものもなく/純白なよどみのない曲線を持ったそれこそここにふさわしい聖らかな美しさがあった〉

 実は私自身も若いころキリスト者になろうとした時代がありました。湾岸戦争でアラブの人達に共感してイスラム教を学んだこともあります。それから仏教にも興味を持って京都に移り住んで四年間寺巡りをして各宗派の違いとか研究した時代もあります。国家神道は大嫌いですけれども原始神道のあり方、子どもの幸せを願ったり、みんなの幸せを願ったり、お金持ちになりますように、など素朴にお祈りする、あの絵馬が好きです。ですから神社も好きです。これらを統一した新宗教を自分で作ろうと思った時代もありましたけれども、やめました。結局私は無宗教・無神論です。しかしそういう経歴の人間ですから特に言いたんですけれども、これじゃなければ駄目だとか、それはだめだと、それぞれの宗教がそのように考えている限り世界は上手く行きませんよね。今野大力は宗教研究者ではありませんし、コミュ二ストとして立派に生きた人ですけれど、このような詩もあるということはなかなか面白いのではないかと思います。

今野大力の詩の今日的魅力③
 

 さて、二一世紀に生きる今野大力の詩の特長の三つ目に入ります。働く人の立場です。働く人を虐げるシステム、その権力にちゃんと立ち向かっていったということです。行動したということです。これは、なかなか出来ることではありません。もちろん、誤解の無いように言っておきますが、詩の世界は「詩」をしっかりと書くことが仕事です。私は現代詩の世界でいろいろな方々とけっこう奥の方まで入って行って交流していますけれども、たとえば政治ビラを配らなきゃあ詩人じゃないというような観点ではありませんので、あくまでも誤解のないように言っておきますが、しかし、あの時代、行動もする詩人、本当に憧れるすごい人だと思います。今、大変な経済状況です。私はもしかしたら今日ここにお越しの皆さんの世代よりもっとひしひしとそれを強く感じている世代かもしれません。
 私が大学を出たのは一九九〇年代の最初ですからちょうどバブルが崩壊しました。そして湾岸戦争があってテレビではアメリカ万歳でテーマ曲が流れていて自衛隊もペルシャ湾へ行った、そういう過ちの時代でした。そして、大企業の首切りが盛んになって「もう保守と革新の対立は無くなった!」などと言われるともう圧倒されてしまってね。「何もするな」とか、「そんなことを言うと就職できない」などと言われる、そんな時代に育ちました。今、旭川の商店街も大変ですよね。毎年来るからわかるのですけれど毎年元気がなくなって、でも旭川文学資料館の方とか草の根文化界の方々と会うとなんだか元気になってくる。市民の地道な文化は盛んだけれども経済はボロボロみたいな……。東京もそうですけれど深刻ですよね。また私は最近まで大阪に住んでいましたけれど、安い所を見つけて住んでいました。朝マンションの窓を開けて下を見るとホームレスが、私が昨日捨てたゴミを開けて中をあさっているのですよね。だけど文句を言う気になれないのですよ。いたる所にブルーテント・ホームレスがいます。いったいどうなるのでしょうか。こういった時代に『蟹工船』がブームになりました。あれも驚きましたね。励まされたと言うか。またヨーロッパではマルクスがブームになっています。
 私は抒情派なのですけれど、あくまで詩が好きなのですけれど、別の顔もあって若いころマルクスに熱中して、今も好きですけど『資本論』を日本語で三回、フランス語版で一回読んだことが私の自慢です。その『資本論』を今野大力も読んでいたらしい。先ほどもどなたかがお話していましたが、マルクスの本が妻との恋のきっかけになったというエピソードはすごいですね。そういう今野大力のまっすぐに闘い、働く者の立場に立って物を言い、それを貫いたという生きざまは現代に生きるのではないでしょうか。「農奴の要求」という作品を読みます。

   農奴の要求
 
〈雪に埋もれ/吹雪に殴られ/山脈の此方に/俺達の部落がある//俺達は侯爵農場の小作人/俺達は真実の水呑百姓/俺達の生活は農奴だ!//俺達はその日/隊伍を組んで/堅雪を渡り/氷橋を蹴って/農場事務所を取巻いた//俺達はその日の出来事を知っている/その日俺達の歩哨は喇叭を吹いた/喇叭の合図で/俺達はみんな/見分の家につんばり棒をおっかって/家を出た/俺達の申し合せは不在同盟!//俺達は侯爵の秘密を知り/俺達は侯爵の栄華を知り/俺達は現在の資本主義社会の悪を知っている/俺達を思想悪化と誰がいう/俺達は飽くまで年貢米不納同盟/そしてその日は執達吏に対する不在同盟!//俺達は集合した/炊出しに元気をつけて/隊伍を組み/堅雪を渡り/氷橋を蹴って/農場事務所へ押しかけた//俺達は要求する/強制執行を解除しろ!/俺達は何にも差押えられてはならない/俺達は黒ずみうずくまる山脈の麓に要求する/飢えたるものに食糧を!/百姓には土地を!〉

 シンプルな詩です。闘いの詩ですよね。こういったものを取材して書く力も今野大力にはありました。自分の体験した悔しさをぶちまける詩だけでなく、他者の、そこで生きている人の立場に立って事件を取材して書くという作品もあって優れています。
「私の母」という作品を読みます。
   

 私の母
 
〈そこにこうかつな野郎がいる/そこにあいつの縄工場がある/縄工場で私の母は働いていた//私の母はその工場で/十三年 漆黒い髪を真白にし/真赤な血潮を枯らしちまった/私の母はそれでも子供を生んだ//私達の兄弟は肉付きが悪くって蒼白い/私達は/神経質でよく喧嘩をした/私達は小心者でよく睦み合った/私達の兄弟は痩せこけた母を中心に鬼ごっこをした/母は私達を決して追わない/母はいつでもぴったりと押さえられた/私達は結局母の枯れ木のようにごそごそした手で押さえられることを志願した/私達はよく母の手をしゃぶった/それは馬の胴引皮のようだった/私達はよく自分達の手をしゃぶった/それはいつでも泥臭い砂糖玉の味がした//日本ではやっきに戦争を準備し/至る処で暴動が起こり/多数の共産主義者が捕えられた/しかし母はいつでも知らずに過ぎた/私達の母は文字を知らず 新しい言葉を知らない/私達の母は新聞の読み方を知らなかった/ただその母は子供を生む方法を知り 稼いで働いて愛して/育てることを知った/私達は神の神聖を知らぬように母の神聖を知らない/私達は母のふところから離れ/母は婆さんになった/母は遂に共産主義の社会を知らない/母はやがて墓土に埋もれよう/だがその母の最後まで充たされなかった希望は/今、私の胸に波打ち返している〉

 何のために闘うのかと言ったら自分達の暮らしが楽になるために、そこから始まるのですよね、当たり前のことですけれど。そういった働く人達の立場を弾圧しようとする側はいろいろと理屈をつけますよね。レッテルを貼ったり、何々主義がどうのこうのと、偏向イデオロギーだと言ったり。でもこの詩にも出てくるように自分の愛するお母さんがずっと働いていて自分達のために頑張ってくれているのに、何の幸せも無いみたいで、何か申し訳なくって、ありがとう!という、工場で働いている女性を息子の気持で書く、この気持ちが、やっぱり社会を変えようという要求の原点ではないでしょうか。本当にこの詩には説得力があると思います。今野大力はすごく優しい人です。そこが私もぐっと共感する所です。闘いの中に優しさがある。優しい人だからこそ闘える。それは観念から出発しているのではなく、本当に何で私達はこんなに貧しいのか、ロマン・ロランの小説を読みたければみんなが読めるような世の中になれば良いのに、何故、自分はふたつ仕事を掛け持ちしなければ読めないのか、何で弟達、妹達がこんなボロボロな服を着ているのか。今、私も皆さんも(私も今、安物の服を着ていますが)今野大力ほどの貧困状態ではありませんけれども日本の国家予算全体からいうと非常に私達は慎ましすぎるくらいの暮らしをしているのではないでしょうか。もっと働く人達の立場を前面に出して日本人も言うべきなのではないでしょうか。なかなか難しい世の中ですけれども、今野大力のこういった詩を読むと、何か闘う気持ちがぐっと燃えあがってくるような気持がします。
 そんな今野大力ですが、ご存知のように弾圧されました。最初の病院がひどい所で人体実験のようにされて中耳炎が悪化して、結局死んでしまうのですけれど、そんな今野大力の闘う姿勢、死んでしまう悔しさ、そういったことがあらわれている詩をちょっと読んでみたいと思います。

   胸に手を当てて

〈かつて私は/悪事をやった立場に立たされた時/こう憎々しげに吐きつけられたものだ、/「胸に手を当てて、よっく考えて見ろ!」//私は今、胸に手を当てて/静かに激しく想っている。/私は悪事をやった為だろうか。//いや、私は悪事をやったのではない/悪事は彼等がやったのだ。/彼等は悪事を犯していながら/私をつかまえて手足を縛しておいて/「お前は悪人だ、お前等は悪事の張本人だ」/そう頭から、権威をもってどやしたのだ/その時何故、私は言わなかったのだ、/「いや断じてちがう、悪人は手前達だ、その背骨をいまに叩き折ってやる!」と//私は今胸を病んでいる/胸を病んでいる私は胸に手をおいて/胸の中に、鼓動しているかすかな響きをかぞえる/この響きは次第に私の内臓が細菌にむしばまれてゆく、/その音楽なのだ/こんな音楽を誰が私の胸にかなでるのか、/かなでるのは私の弱った肉体なのだが、/こんな弱いからだにさせて/あけても、くれても天井ばかりを見つめさせ/私の老母を もう米が一粒もなくなったと言って泣かせたり/私の弟に魂のない人間となって働いてもらわねばならないのは、/「胸に手をあてて考えてみろ」と言った/あいつらためなのだ、私はあいつ等を憎悪する/「あいつこそ悪人ではないか!仮面のあいつこそが」〉

 彼が最期に絞り出した死の直前の作品ですが、「あいつ」と言うのは個人的憎悪の対象ではないと思います。誰か一人というのではなく、今野大力や小林多喜二を始めとする働く者の立場に立って、また「戦争はやめろ」とアジアの人達の立場に立って当たり前のことを普通に民主主義的に言った、今なら当たり前のことを言った人を殴る、蹴る、死なせた、国家権力全体に対してではないでしょうか。
 こういった詩を読む時、今野大力という人、私は冷静に注目してしまうのですが、こういう立場にいながらそれを詩に書いているでしょう、ここがすごいのですよ。書いていなかったら残らないですよね。文学の素晴らしさはそこだと思うのです。彼が苦労して悲惨な目に遭いながら、その気持ちをこうやって死の直前にほかでもない詩という形にして書いたということです。

今野大力の詩の今日的魅力④
 

 四つ目の特長ですが、今、現代詩の中で詩作品として見ても今野大力の表現は独自に光っているという、多分これまではあまり光が当てられなかった側面です。今日お越し方の中にはいわゆる「文学好き」、今野大力に限らず文学そのものが好きと思う方もいらっしゃると思います。そのような方々には特に聞いていただきたい特長です。

 それで、この四つ目の表現手法の特長をさらに四つに分けます。

 一つ目はユーモアです。「泣きたくなって」という短い詩があります。

   泣きたくなって

〈泣きたくなって/片手で顔面を包んで見る/顔面には窪んだ眼があり/顔面には小高い鼻がある/こすった顔面がのっぺらぼうであるならば/どんなに思うさま泣かれたろうに/私には ああ/眼がある 鼻がある/私はちっとも泣かれなかった。〉

 これで終わってしまうのですね。何なのかと思うのですけれども何かニヤリとしてしまう。青年がですね、鏡を見て自分の顔について分析しているのですね。ナルシストかと言われてしまうかもしれませんが、顔のことをいろいろ悩んでいる青年が自分の顔を触ってみて「ああ、眼がある、鼻がある」と一人で感動して書いているのですけれども、皆さん、詩文学と言うものの面白さはここにもあります。「じゃあ何を主張したいのか」ということだけが詩ではありません。「くすっ」と笑う面白さ、また何だかわからないけれども青年が自分の顔を触っていくことで、これから生きようと元気になっている面白さ、こういったユーモアを今野大力は持っていました。
 もっと短い詩、ユーモアという点で『羅漢寺』という四行の詩があります。

   羅漢寺

〈羅漢寺の羅漢に盗癖ありて/ともれるろうそくの涙を啜り/金財袋の紐をほどき/赤さびた銅貨を奪う。〉

 これだけなんですね。皆さんの中には五百羅漢を見られたことがある方も多いと思うのですが、あの中をまわっていると不思議な気分になってきますよね、みんな見られているような、生きているような。その羅漢がろうそくを持って涙を啜って、お金を密かに盗っている、お賽銭か何かよくわかりませんが盗っている、それが見えるっていうんですよね、これだけなのです。ただこれだけのことを四行の詩にする。今野大力は本当はすごい技術を潜在的に持っていた人ではないかと私は思います。

 二つ目はスリリングな批評性です。これは小熊秀雄ともう一人の人と三人で意気込んで始めた同人誌に発表した詩で「狂人と鏡」。

   狂人と鏡

〈友よ/わが一人の愚かなる人間の為めに/密かに鏡を用意して呉れ給い//そこに一人の狂人がいる/彼は赤紅の夢を胎むことによって/恋をする愚かな狂おしい男である/彼の室は赤/壁の地図も赤/彼の思想も赤/赤/赤/赤/点々 点々 べタべタ匂いが/赤色の中に芽ぐむ一人の生/友よ/彼は横臥することを好む/今こそ/彼に鏡を与えよ/おお そして/見ろ!/彼の狂態が初まるのだ!//殺せ!/(殺さねばこそ!)/狂人 狂態 絶叫/悔いやせぬ/悔いやせぬ/吾々は狂人の舞踏を拍手して迎えるばかりだ!〉

 何か危ない綱渡りのような詩ですね。紙の上では何でも書けます。詩文学と言うものはどんどん豊かになっていくべきで、何かひとつの固まった詩だけが良い詩ではないというのが私の考え方ですが、この詩には小熊秀雄のにおいがちょっとするので、ダンディな小熊秀雄から吸収したものを彼なりに消化して少し背伸びをして書いたのでしょう。狂人のことを書いてあって「殺せ!」なんて言うと本当に殺人かと思うのですが、そうじゃなくって最後の一行にどんでん返しをして「吾々は狂人の舞踏を拍手して迎えるばかりだ!」で終わるのですね。赤色思想を狂人扱いする向きへの反逆のニュアンスもありますが、何かわからないけれども命がすごく燃えていて爆発しそうで、生きている情熱ですよね。爆発したいという精神。そして踊り狂うことを賛美するという激しい詩なのですけれども、この詩は詩句の緊張感が実に優れているなと思います。
 
 三つ目は、今野大力の詩が近代詩と現代詩をまたぐ貴重な位置にいるという点です。大力の詩には、わりと近代詩的な調子の言葉使いや文語が混ざっていたり、石川啄木調の嘆きが入っていたり、そういった近代詩的な側面と、先ほど内容上言ったように、その時代のまさに最先端の状況、世界状況、社会状況を厳しく書くという現代詩的なところと、両方あって、それらをまたいでいるのですね。近代詩的なものと現代詩的なものをまたいで表現している。そこがすごく面白いなと思います。
 函館に立待岬がありますが、美しいところで、石川啄木のお墓がありますね。啄木も世の中のしくみに対して「ノー!」と言った鋭さを持った人でしたが、その啄木に大力が憧れるようにして立待岬に行った時の詩を読みます。

   立待岬にいたりて

〈露西亜の船の沈んだ片身に残したと聞く石を抱いて/われは又ある日のざんげをするか/函館山は高く/要塞地として秘密を冠る/おごそかな/壮大なる岩礁の牢たる屹立は/東方に面して/何をひそかに語りつつあるか/黒鳥のあまた 岩に群がり/波に浮び 魚を捕う/かつてここら立待岬のアイヌ達は/魚群の来るを銛を携えて立ち待てりと伝う/東海の波濤のすさまじく寄せ打つ処/崖上の草地にマントを着たる四五人の少女等/寝そべりてハーモニカを吹き、微かに歌をうたう/蟹とたわむれ 充たし得ぬ薄幸詩人の最后の願いは/この函館の地に死ぬことを願いしと碑銘に物語る/その碑は今この岬へ行く山腹の途辺にあり/我をしも死地の願いを言わば/この地に久遠のあこがれを抱くであろう〉

 立待岬に行って詩を志し、詩を書いている若い青年が先達詩人の石川啄木やアイヌに想いを馳せるのですね。崖の上に不思議なマントを着た少女四五人がいてハーモニカを吹いて歌を歌っているというのは幻想的な鮮明さが
ありますが、言葉も文語調と口語調が混ざっていているのですけれど、私はこういう詩を現代詩の世界が削ってきてしまったのではないかという批判的観点から、こういう詩こそ残さなければならないと思うのです。
 戦後詩は激しくなり過ぎてしまって、皆さんの中で詩の世界にあまり縁のない方も現代詩と名乗っているものは難解で全然わからなくてちっとも面白くないと思われている方も多いと思います。これは本当はもともと良いきっかけから起きたことでした。戦争批判です。戦前の有名詩人達が侵略戦争に加担してしまった反省点から「とにかく厳しくなくちゃならない。主観が入っちゃいけない。」それはある意味良い面があったのです。社会のことをいろいろな思想の詩人が戦後競ってドライな詩を書いていった。それはそれで素晴らしい成果があったのです。
 しかし、そこには見落とされていることがあります。それは、戦争と結びつけて古典文学や抒情そのものを敵視することには根拠が浅く、近代詩や抒情詩自体がいけないのではないということです。
 尹東柱(ユン・ドンジュ)という詩人、韓国の人ですが日本で勉強して多くの抒情詩を書いた人です。戦時中に日本に逮捕されて獄中で死んでしまった人です。韓国では英雄扱いされていますけれど、その尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の言葉はとても優しくて、それこそ今野大力の様な素朴な詩なのです。抒情なのです。抒情なんか書くのは認識が甘い保守派だとか、そういった風潮がありましたが、実は日本の軍国主義が弾圧したのは本当の優しい抒情詩であったという事実があるのです。
 短絡的ものの見方ではこれからの文化は駄目だと思います。良いものは良い、そう言えるような詩の世界にしたいものです。私は現代詩のただ中にいる者ですが、その目からも「立待岬にいたりて」のような詩は良いなと思います。

 最後の四つ目ですけれども、ヒトを地球生命動物界の中でとらえる先駆性をもった詩があるという点です。
 日本は戦前、男子しか選挙権がありませんでしたし、女性は「生む」機械のように馬鹿にされていて、いわゆる女性的なもの、軟らかいと言いますか、そういったものが日本文化の中で置き去りにされてきた点があると思うのですよね。でも、勇ましいだけが世の中を先に進めるのではなくって、心と心、母が子どもに優しく接するような、そういったものも社会進歩に繫がると私は考えています。そういう意味での究極の分野、動物や子どもをどう考えているのか、という点では当時は時代の限界が顕著だった人達が多いと思うのです。たとえば「犬のような権力」なんて発想ですね、そういったニュアンスです。大力は違うんですね。子どもに優しいことは先ほど見ましたが、彼はヒトを大自然の中の動物の一種とも見ていたのですね。「けものの子」という作品があります。それを読みます。

   けものの子

〈汝われはけものの子ぞ/毛ある人間に吾はそだちつ/人間なれば無毛に見ゆれど/わが手足の薄毛は伸びつ/青葉の汁を啜らねば/手足は冷たくなるに/鳥を射て 取りを喰い/けものをころして 肉をむさぶる/草を刈り実をとりては塩にひたし/草木の実を砕きあるいはなめずる/汝われはけものの子ぞ/人間の子にはあれども/人の子といいて 何のほまれぞ/けものの子生れて/けものの群れに育ちゆく/汝われはけものの子ぞ〉

 戦前の詩人でこういう観点を持っているのは、新鮮で先駆的だと思います。
 大力はアイヌの世界観に近いものをどこかで吸収しているのだと思いますが、大地に生まれて、そこではいつくばって、動物界の中でヒトも生きているのですよね。人間ホモサピエンスを地球生命の原初的な感覚で捉えているのではないかと思います。この作品は『作品集』の中にも入っていなくて、その後発見されて「詩人会議」二〇〇〇年六月号の今野大力未発表作品特集で初めて明らかになったものです。

おわりに
 

 以上が今野大力の詩の二一世紀に生きる先駆性ですが、今を生きる私達一人一人に宛てているような励ましの詩を読みたいと思います。

   期待

〈見たまえ/君のからだが動いている/君の瞳は生きた黒さんごのように光っている/君は言いたいことがあれば言える/動きたいと思えば動ける/君は意志の前に努力の出来る人間である/確かに人間である/そして/君は考えることも出来た/貧しい君達よ君らは何か考えていることはないか/考えていることがあるなら/君達は何か仕出かすだろうことを私は信じている〉

 この詩も二〇〇〇年になるまで未発表で知られていなかった作品ですけれど、〈仕出かす〉といっても犯罪をおかすことではなく、自分達の暮らしを良くするために行動しよう、アジアの人達にも生活があって働く者は一緒に生きて闘おう、そんな気持ちで人々に訴えかけた言葉でしょう。今、大変な世の中に生きている私達に直接響いてくるものがあるのではないでしょうか。

 最後に「やるせなさ」全篇を朗読して終わりたいと思います。

〈作品掲載省略〉

 私は今野大力に言いたいと思います。
〈けれども敗北か、勝利か/私には何の信号もない〉と書いている今野大力さん、あなたの主張したことは、戦後はっきりと正しかったとわかりました。勿論、あなたが本当に望んでいるような、みんなが平等で、優しく詩や歌を楽しめるような社会はまだ来ていません。日本とアジアはまた険悪になっているふしもあります。でも戦前あなたが拷問されて苦しんでまでも貫いたこと、それは立派に戦後に生きて、ちゃんと日本国憲法の中の基本的人権に生かされ、憲法九条に書かれています。だから私ははっきりと、今野大力の悪戦苦闘は勝利だったと言いたいのです。

 今日は高い所から偉そうに話をさせて頂きましたが、旭川の皆さんの素晴らしい研究活動や草の根事業のお力に少しでもなれたなら幸いです。これからも皆さんとごいっしょに努力して行くつもりです。

 「九条の会・詩人の輪」は千名を超えています。二〇〇四年に結成されて、私も呼びかけ人二六名の一人なのですが、高齢の呼びかけ人や参加詩人がひとりまたひとりと亡くなって、これからどうなるのか少し不安もあります。そんな時に今野大力の詩を読むと、「ああ、彼も不安だったんだな。がんばらなァあかんな」と励まされます。

 今日は、皆さん、ありがとうございました。

*使用文献
『今野大力作品集』(一九九五年・新日本出版社)
「詩人会議」二〇〇〇年六月号「今野大力未発表作品特集」   

*この文章は、当日の講演記録CDをもとに、整理加筆したものである。
 今野大力没後七五周年のつどい実行委員会の皆さんには、金倉義慧氏、能登谷繁氏、氏家正実氏、沓澤章俊氏、佐藤比左良氏、加藤雅敏氏をはじめ、大変お世話になった。あらためてここに深く感謝御礼申し上げる。
 なお、二〇一一年五月には旭川にて記念講演「二一世紀に生きる小熊秀雄」がある。これも皆さんの研究の力になればと、いま話の中味を推敲中である。 

        (「コールサック」69号より)                    

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