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2011年4月20日 (水)

東日本大震災と原発事故に関して

大震災をめぐる大きなズレ   佐相 憲一

 (「コールサック」69号・4月30日発行予定 より)

はじめに

 大変な事態になってしまった。東日本大震災と原発である。いまは四月はじめ。とにかく被災者の方々のことが心配である。

 国会内で、統一地方選挙を全国で延期するべきだという野党の一部からの提案に対し、与野党の多数派が反対し、被災地のみ延期と決定された。こうやって国民は分断されるのだろうか。

 東京都のI氏は被災者と国民の心を傷つける暴言を吐いた。これまでもアジア人蔑視発言、女性・お年寄り・障がい者蔑視発言を繰り返し、教育現場での君が代斉唱を強制し、東京の福祉・教育を後退させてきたこの人物。災害関係でも、かつての美濃部都政時代に前進させた条例を、「自己責任」論のものへと改悪していた。このような人物を無批判に何回も首都のトップに当選させてきた有権者の見識も問われよう。ほかのタレント候補もそのトップのやってきたことを引き継ぐなどと言っている。テレビで何となくの日本のイメージ選挙。政策が庶民のくらしに対してどうなのか、そこでこそ判断したいものだ。

 プロ野球でも、震災を受けて、パ・リーグが開幕延期を決めたのに対し、セ・リーグだけ予定通り強行開幕しようとした。セ・リーグを私物化してきた巨大新聞テレビ球団ボスと、もう一球団が強烈に主張して、ほかの四球団が追随してのものである。これに対し、被災者や国民やパ・リーグに連帯するセ・リーグの選手を中心に、プロ野球選手会が猛抗議した。さすがに文部科学省からも電力問題などでクレームがついて、セ・リーグもしぶしぶ数日だけ延期したが、それでもセ・パ同時開幕を頑強に拒否し続けた。巨大テレビ新聞を背景に原発推進や改憲を後押ししてきたような面々がプロ野球のイメージまで汚すのをファンも選手会も世論も許さないだろう。その後、セ・リーグも四月十二日のパ・リーグとの同時開幕へとさらなる延期を認めた。頑張った選手会と世論の勝利である。

 さて、恐れていた原発の危険が現実化してしまった。これに対しては、今回の被災者救援と復興とともに、きっぱりと国民的議論をしなくてはいけない。このシステムでいいわけがない。津波は自然災害だが、そこで起きた放射能漏れなどの事態は明らかに人災である。日本は原爆被爆国であるというデリケートな国民感情から、世界で最も地震・津波が起こりやすい環太平洋造山帯に位置する日本に原発を置いたらこうなるというこの現実まで、少なくない人々が警告していた事態に、今度こそ国全体が向き合わなければいけないだろう。地理上の科学的な分析からこのような規模の地震・津波を原発推進派は想定していなければいけなかった。「想定外」と言っているのは詭弁である。ほかの自然エネルギーの研究が世界的にもすすんでいるのだから、日本はこれを機に地球環境と平和に矛盾しないその方面の先進国をめざしたいたいものだ。

東日本大震災、いま
 
 三月十一日は金曜日であった。午後、断続的な小さな揺れの後、コールサックの職場が大きく揺れた。周りの物がガタガタ音をたてている。私たちはこの部屋が入っているマンションの住民たちと共に、外へ緊急避難した。ビルが右に左に揺れている。マンション隣りの上方には高速道路の標識のようなものがグワングワン揺れている。板橋は東京の中でも庶民的な地域で印刷業などが集中し、旧中山道も通っているまちである。ゆえに、通りに見える昔ながらの電線が大揺れし、雑居ビルやマンションも怪しく揺れているのが目に見えるのである。特撮映画じゃあるまいし、恐ろしかった。幾分かおさまったようなのでいったん部屋に戻ったが、しばらくしてまたひどい揺れがきて、これはまずいといよいよ事態の深刻さが感じられて来たのである。その夜、私は板橋から北新宿まで歩いて帰った。深夜にはたどり着いた。どの大通りも歩いて帰宅する人々の列ができており、暗くなったまちは不気味であった。
 東京は東北や茨城よりはましだったが、その後数日間、全国の詩友から心配のメールや電話が続いた。関西の人々は阪神淡路大震災の経験からこういうことに敏感で特に心配してくれた。

 東北の詩人に恐る恐る連絡をとると、奇跡的に何とか生きて頑張っているという知らせを受け取った。しかし、電気が止まっていたり、海側に住んでいた親戚や友人と連絡がとれなかったり、まちのさまざまな機能が停止状態で、本当に大変だ。その中で人々が助け合って何とか乗り切ろうとしているのである。

震災と軍事 ~国の閉塞状況とマスコミ~

 私たちはテレビなどのリアルタイムの情報を事実のすべてだと錯覚しやすい。「海外から、日本人の統制のとれた対処に称賛の声が寄せられている」というような情報が流されると、今回のこの緊急事態が薄められて、「これくらいは仕方がないんだ」というニュアンスに錯覚されるのだ。
 今回の原発への対処にあたり、テレビや新聞が「勇敢な自衛隊」「助けてくれた米軍」などを流しているのは、早くも「また始まった」という感じだ。論理的思考に弱く情に流されやすい日本の大衆に向けて、自衛隊のあり方と日米安保の実態を隠して、すべてをますます容認させていくとしたなら、苦しんでいる被災地の人々の苦しみを政治利用していることになるだろう。
 震災の直前に、米政府関係者が米軍基地に苦しむ沖縄市民を愚弄する発言をして抗議された事件があったが、報道機関にとってはあれはもうどうでもいい済んだことなのだろうか。大問題にしなければいけないのに、それよりも米軍の協力を選ぶのだろうか。しっかりしてほしいと思う。巨大マスコミが慣れ合いのカルテル的状況でスポンサーである大企業トップや日米政府の顔色をうかがう似たり寄ったりの紙面では、政治家以上に責任重大であろう。いまの新聞は広告ばかりではないか。そして、弱い立場の市民にばかり節電しろ気をつけろと言っておきながら、肝心の諸問題の本質は追求・追究・追及しないのであろうか。ちょっときつく申し上げたが、本当は才能豊かな筈の記者諸氏に大きな期待をこめて、あえて言わせてもらった。

 放射能が危険なので米軍の無人偵察機を使ったというのは、もしこういうことが起きたら電力会社や政府はどうしようと考えていたのかという認識の甘さこそが追及されるべきで、米軍のありがたさ演出などはもってのほかの論理のすりかえである。 
 また、自衛隊については平和憲法との関係で戦後ずっと問題があるが、それでもいま地震の緊急事態で救助能力のある部隊をすべて市民救助に動員するのは当たり前のことである。ここで問題なのは、むしろ、このような現実的な災害対策の部隊をこそもっと訓練して日頃から用意しておくべきであり、日頃税金を使って人殺し訓練と仮想敵国攻撃という非現実的なことばかりやっている軍隊がこういう災害で十分機能するのかということの方であろう。自衛隊は名前を変えて、軍隊の性格ではなく、災害救援特殊部隊へと変えるべきではないだろうか。そして、頑張っている消防関係をもっと助けられる部隊をつくるのだ。これが平和憲法のもとに生きる地震多発国のまともな論理ではないだろうか。いまのように準備も万全でないのに駆り出されるのでは、自衛隊の隊員も大変だと思う。そういう意味ではいま彼らに個人としては同情する気持ちも私にはある。平和憲法のもとで緊急の災害の時に活躍できる訓練をこそ受けるべきで、役に立たない非現実的な外国人殺しの訓練ばかりでは空しいだろう。しかし、「自衛隊が勇者」のように報道するのは問題のすりかえと言わざるを得ない。インターネットのニュースは特にひどかった。若い人々の軍隊好感度を演出しないでほしい。若い人たちが戦場の真実を知らずに美化された軍隊にどんどん入ったりアジア好戦的になったりしていいのか。

 震災前だったが、最近、東京の山手線で驚いたことがある。JR東日本の車内テレビで、陸上自衛隊と海上自衛隊を美化したCMが堂々と流されていたのである。「ここまで来たか」という感じだ。若いきれいな男女が「国を守る」とか「家族を守る」とか笑顔を向けて、就職難と格差社会で苦しんでいる人たちを「安心の」自衛隊入隊に誘導するのである。しかし、実際にはそこでは中国を仮想敵として人殺しの訓練をしているし、米軍のお伴をして遠くの国へ行っているのだ。ビジネスや市民交流ではすでに中国は日本の主要なパートナーになっているのに、政治軍事では仮想敵国なのである。そして、自衛隊内部では、旧態依然とした上下関係のもとでいじめや自殺が発生しているのである。この車内テレビを黙って見ている乗客の中の少なくない人々も映像に違和感を感じていると信じたい。

 原発がアメリカ、フランスといった核兵器保有国を中心に推進されてきたことと、日本がアメリカと軍事的な「同盟」関係であることなどを考える時、原発技術と核軍事技術との政治経済的な関連に危惧せざるをえない。私は詩をはじめとしてフランスの文化や労働運動・市民運動の伝統、人権や福祉教育制度の前進などに敬意を抱いている者であるが、ほとんどのエネルギーを原発に頼っているあちらのシステムには恐怖を感じる。危険性にフランス市民が気づいてほしいと思っていたところ、最新の世論調査があり、フランス国民の八三パーセントが原発依存を減らすべきと考えていることが判明した。連帯したい。また、サルコジ政権はアフリカへの軍事介入もやめるべきだ。
 日本もそうだが、ここで問題になるのが、巨大企業の利益である。アメリカのオバマ大統領が核兵器をなくす方向を示すなどいいスタートを切りながら現在では元のままの米軍海外展開政策に後退しているのを見ても、アメリカ大企業の軍産一体構造の巨大さとその利益誘導の脅迫的な力の強さはすさまじいものがあるようだ。国の経済構造がそのようになってしまっている場合、変革するには相当の覚悟と市民運動の力が必要だろう。二大政党制になってしまっていて、どちらも大差ない政策の場合、それはなかなか大変だろう。こんなところにも二大政党制の害悪は顕著である。日本も、民意を反映していない小選挙区制度などのもとで二大政党制になってしまったら危険だ。
 日本の企業の一部が軍事産業にも関わっていることは以前から「公然の秘密」のようなもので、また、日本に寄港する米軍の軍艦に核兵器が搭載されてきた疑いも濃厚であるから、この事態に、原発問題のほかにも、日本の産業全体の構造と、危険な日米軍事同盟の問題なども真剣に考え直したいものだ。

 いま、私たちは日本のどこにいても、被災地の市民の心と体の苦しみと共にある。死者・行方不明者が三万人近くも出ているのである。だから、この事態を権力システムの正当化に政治利用されることに憤りを感じる。マスコミが震災記事でいっぱいのこのどさくさに紛れて統一地方選挙をこっそりやって、各地の十分な政策論議も住民に浸透しないまま、既得権益を守ろうというのか。自分たちで選挙を強行しておいて、選挙活動は「自粛せよ」というのは、明らかに自分たちの「実績」や政策に後ろめたさがあるからであろう。しかし、国会多数決で決められてしまった以上、私たち各地の有権者はむしろいっそうしっかりと厳しい目で審判を下すべきであろう。個人的には私は、原発万歳の人たちや、格差社会見て見ぬふりの人たちや、福祉軽視の人たちや、九条改憲派の人たちには退場してもらいたいと強く願っている。この停電まじりの状況で、統一地方選挙を予定通りに強行する(前半戦は四月十日・後半戦は四月二四日)とは無茶苦茶であるが、市民の賢明な判断に期待したい。
 
 徒らに薔薇の傍にあって
 沈黙をしてゐるな
 行為こそ希望の代名詞だ

      (小熊秀雄「馬車の出発の歌」より)

記憶の阪神淡路大震災
 
 私は昨年はじめまで十三年間、関西に暮らしたが、関西の人々はいまでも阪神淡路大震災の悪夢にうなされたりするようだ。私は大震災当時は横浜に住んでいた。
 一九九五年一月十七日、関西の方でとてつもない大地震が起きて人々が大変だとニュース速報が伝えた。
 その二年前に私は東京生活から故郷の横浜市港南区へと戻っており、二十六歳の労働者であった。大学を卒業後、嫌なことばかりだった日本を捨ててフランスに移住(当時自分では「亡命」と呼んでいた)するべく、さまざまな仕事をしながらフランス語学校に通い、生活費を切り詰めてフランスに下見に行ったりした時期の後、悩んだ末に、「日本を捨てる」のではなく「日本を変えよう」と方向転換し、横浜で平和やくらしの市民運動や政治変革のための活動を血気盛んにしていた頃だ。
 地震は早朝に起きたらしく、ニュースの度に犠牲者の数がふくれあがり、次第に深刻な全貌が明らかになっていった。
 私たちは緊急連絡をとり合い、その日の夕刻、横浜市港南区の上大岡駅前に集合した。募金箱とハンドマイク。私はマイクで訴えた。「港南区民の皆さん、こんにちは。お仕事や家事などお疲れ様です。ご存じの通り、本日関西で大地震が起きました。あちらではいま大変苦しんでおられます。私たちはみんなで何かお力になれないかと緊急にここに集まりました。皆さんもお心をいためておられるだろうと思います。いま、閉塞する経済社会状況で、私たち庶民の生活も大変ですが、ここは横浜市民の心を関西の人々に届けて応援しようではありませんか。この募金は責任をもって私たちが被災地の住民にお届けします。どうか、思想信条などの違いを超えて、力を合わせようではありませんか。関西の地震被害者のための募金にご協力ください。」すると、道行く人々がじっと聴いてくれて強い関心でこたえてくれた。次々と募金が集まる。一時間だったか二時間だったか、いくらだったか、正確には忘れたが、信じられないほどの善意が集まったのだ。二十六歳の私は感動した。日頃は事なかれ主義で嫌な方へと行っているような日本で、市民の心の光を目撃した気がした。日本人も捨てたものではない、そう思った。地震当日夕刻の私たちの行動はたぶん、阪神淡路大震災のボランティア募金活動としては全国でもかなり早い方だったであろう。
 その後、被害の悲惨さには目を覆いたくなったが、全国各地から伝えられるボランティア行動の輪、特に青年層の奮闘ぶりに、私は大きな励ましを感じたものである。後で聞くと、詩人たちも行動していたという。

関東大震災・朝鮮人など大虐殺
 
 ちょうど同じ一九九〇年代はじめから半ばにかけて、私は日本の歴史を研究していくうちに、学校の歴史では教えてくれなかった日本の闇の部分にたどりつき、アジアと日本の関係を見つめていた。きっかけは四つある。一つ目はこどもの頃からプロ野球や芸能界などを通して在日コリアンのことをうすうす感じていて知りたかったこと。二つ目は高校時代の受験勉強の過程で世界史に深くのめりこみ、受験勉強の域を超えて大学時代に到るまでロシア革命史やフランス革命史や第二次世界大戦などを自分で研究していて、日本近代のアジア侵略に衝撃を受けていたこと。三つ目はヨーロッパ放浪でベルリンの壁崩壊など世界の激動を目撃し、フランス文化の中の移民の系譜に共感した類推で、日本の隣人について知りたくなったこと。四つ目は青年期になっての私の顔つきから、よく「韓国人ですか」「中国人ですか」と間違われる会話のニュアンスを通して、日本人の中にしみついている差別意識を肌で感じていたこと、であった。
 社会的に目ざめた青年期の私は在日コリアンが多く住む神奈川県の川崎市に通い、河川敷の地図にもない小屋で暮らす在日コリアンの生活を見つめ、コリアンタウンの交流館でも交流した。手に入れた写真付き書籍では、神奈川や日本の近現代史におけるコリアンと産業との関係、彼らの生きざまなどを生々しく知った。古代の渡来人が開拓したという秦野も歩いた。
 横浜では一九二三年の関東大震災のフィールドワークをした。当時、朝鮮人虐殺を目撃したという日本人のおじいさんに会ってお話を聞き、朝鮮人をかばって虐殺された社会主義者やアナーキストの墓を訪ねたりした。港ヨコハマは中華街もあり、私が通ったフランス語学校もあり、日本の中でもっとも開明的・国際的であるはずなのに、こうした暗い過去があったということにハマッ子の私は傷ついた。大震災という、みんなが助け合わなければいけない時に、デマを流し、異質な者を排除し攻撃するということ。ここには集団心理の恐ろしさと国家宣伝の浸透があった。だから、阪神淡路大震災で、今日の日本の庶民が在日コリアンと助け合っていることに、歴史の進歩を見た。
 と同時に、韓国の詩人・ユン・ドンジュを読んだり、小熊秀雄や今野大力など、あの暗い時代にアジア民衆連帯をしていた詩人がいたことを知って感動したりもした。そして、戦前の著名詩人がことごとく侵略戦争に加担してしまったという痛苦の経験を経て、万葉集からの良き文学遺産は引き継ぎつつも、偏狭ナショナリズムや悪しき流れとはきっぱり決別したところから再出発した日本の現代詩を研究していった。

 今回の東日本大震災で、阪神淡路大震災や関東大震災のことも考えた。

おわりに

 私は詩人や詩愛好家の眼力を信じている。人の心の傷にもっとも敏感な全国各地の詩人たちが、これからもさまざまに論じたり、行動したりしていくことだろう。そして、命の本質を見つめたいい詩がどんどん書かれ、読まれていくことだろう。
 
 東日本大震災の被災者の方々への連帯の思いをもう一度述べて、また全国各地で今日も詩を書いている人々への変わらぬ敬意を表して、今号の時評を終えたい。

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