カテゴリー「現代詩時評・展望」の記事

2010年5月10日 (月)

現代詩時評・展望「地球は回り、社会は動き、詩は降り注ぐ」  コールサック66号より

  北新宿・大久保の深夜の詩

 この二月まで暮らした大阪なんばの雑踏にもさまざまな人生の息づかいが感じられたが、現在住む東京の新宿・大久保・東中野界隈にはさまざまな国出身の人たちの今を生きる鼓動が交錯している。
 十八年前にここで暮らした時には韓国からの人たちも「異邦人」という感じで、西アジア・南アジアや中国なども含めて、こちらが応援してあげないと気の毒な孤立感があった。それが今では日本人より元気な暮らしのネットワークを築き上げ、カラフルな諸国料理レストランや居酒屋、教会などを交流の場に、日本で最も庶民的なコスモポリタンの街となっている。背景には、韓国映画の爆発的な人気などが文化的偏見を激減させたことや、日中平和友好条約から三十年以上が経って中国人との交流も急増したことなどが挙げられよう。
 いいことである。日本社会は経済的どん底にあり、暮らしは大変、暗いニュースばかりであるが、民間国際交流の分野だけは確実に進歩・進化している。若い世代になればなるほど、国際結婚なども増えるであろう。そして必要性から市民の運動がすすんでいけば、閉鎖的な日本社会で苦しんできた外国人労働者の暮らしの権利も拡充していくであろう。政治分野や出版業界では、いまだにアナクロニズムの侵略戦争美化やアジア蔑視の危険な情報が飛びかうが、歴史は民衆の生活の場の運動が突き動かすものだから、悲観せずに積極的にいきたいものだ。

 そんな大久保の肌寒い深夜、ロシア人か他のスラブ系かと思われる男性の青年が一人酔っ払って、叫びながら東中野方面の家路を行くのを見た。とても孤独な感じで、何やらスラブ系の言語で怒りの言葉を発している。心は内側に閉ざされ、彼の握りこぶしの涙が伝わってくる。きっと何か嫌な目にあったのだろう。いっそこんな国は出ていきたいと考えているかもしれない。残念ながらウォッカを飲んで語り合う人はいないのかもしれない。肉体的に合わない異国の酒が彼の怒りを助長してしまったのではないか。
 通行人は完全無視。交差点を渡る彼は哀れである。とにかく思いつめているのである。
 思いつめてはいるが、自滅するような感じではなく、きっと彼は芯の強い人で、悔しさをバネに明日も生きるであろう。

 その時、私の胸に〝詩の心〟が降り注いだ。この深夜、一人ぼっちで夢と格闘するこの青年の存在が、詩であった。
 言いかえればそれは、祈りとか願いという言葉で表現されるかもしれない。しかし、それは宗教的なものとも日常エール的なものとも少し違う次元のもので、そう、宮沢賢治の主人公が夜の星を一人見ながら夢の世界に入っていった時の祈りや願い、シャルル・ボードレールが傷つき疲れ果てて突端の海で見た無限の力、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督が映画で描く、孤愁からの連帯、などに共通の〝詩〟なのである。

 私は思い出す。ベルリンの壁が民衆の願いの力で打ち壊された直後の一九九〇年の寒い夜、混乱する東欧を放浪していた青年の私は、確かハンガリー付近の列車の中で一人のルーマニア人のおじさんと出会った。しっかりと通じる共通言語はなかったが、彼の存在自体の〝詩〟がすべてを伝えていた。チャウシェスク独裁政権はなくなってよかった、でも暮らしはひどくなった、保障がない、子どもも女房もいる、新しく仕事を見つけなくてはならない、ドイツかどこかへ行かれればいい、不安だ。そんなことを身振り手振りで私におしえてくれた。私がトイレに行く時は私のバッグをしっかりとみていてくれた。彼は寂しい東洋青年の私をまぶしそうに見つめ、心からの人生の応援を贈ってくれた。こうして私は、〝詩〟の領域に入ったのである。

 この深夜のスラブ青年。今度は私が彼を応援しなくてはいけない。だが、言葉が出てこない。私はダメだな。通り過ぎる。
 いつか彼が祖国で詩人になるといい。

 「コールサック(石炭袋)」はそのような存在に寄り添う、詩的精神の場であろう。

 一方では、銀河鉄道の夜に詩的精神がひろがり、命のポエジーが見つめる星雲コールサックの心、他方では、石炭袋に象徴される戦前・戦後の労働と社会の激動、歴史を直視する批評の詩精神。
 この双方の視点を大事にし、合流させる詩誌。そこが「コールサック」の特長であると私は見てきた。いずれかの傾向がいずれかを偏見の目で見るような狭い詩の見方は時代遅れである。詩というものが含んでいる世界はもっと広くて、深い。

 各地でこうした〝詩〟に地道にとりくんできた尊敬すべき方々を応援したい。
 また、時代の新しい書き手として光る存在を積極的に発掘し、応援していきたい。
 さらに発展形としては、他誌、他団体とも詩運動の場で大いに気持ちの良い交流、相互理解を深めて、志を同じくする分野では大いに共同もすすめていきたい。

 これまで鈴木比佐雄氏が続けてきたこの貴重な文化事業をさらに発展させるべく、熱烈なるお誘いを頂き、自分が評価・応援してきた詩誌・出版社なので、思い切って転職・転居してきた。大阪のかわいい教え子たちとお別れするのは寂しかったが、人生の一大決心である。
 皆さん、どうぞよろしく。

  最近の詩集などから 

 昨年十月まで刊行の、特に感銘を受けた好著は、『詩と思想一 ・二月合併号の年間アンケート」にたくさん挙げたので、また、ほかにも他誌におすすめの新刊詩集書評をいくつか書いたので、ここでは重複を避け、それ以降のものやアンケートにもれたが紹介しておきたい詩集、さらには各出版社の最近のすぐれた動きなどを挙げてみよう。

 崔龍源氏の詩集『人間の種族』(本多企画)が刊行された。タイトル作品は詩誌「コールサック」に発表したものである。アウラとアウレというアマゾンにたった二人残った種族を描くことで、人間そのものの哀歓を表現している。テーマ内容の重要性だけでなく、批評性と抒情性が融合したリズミカルな詩精神が名詩の名にふさわしいと、詩誌発表当時から私は感じていた。ユン・ドンヂュをも彷彿とさせる崔龍源氏の深い詩世界は前詩集でも好評だったが、今度の詩集の作品群ではそれに加えて、作者にとって生涯の課題であろう韓国人の父と日本人の母のもとに生まれたという問題を掘り下げて、リアルな日韓葛藤などが詩の形で展開されているところにも読みごたえがある。母を深く愛する作者が、こどもの頃、父がどうして時々家族にさえ心を閉ざして怒り出すのかとまどっていたこと、それが人生経験と歴史認識を経た今、静かに熱く考察される。日韓の歴史と父の韓国の出身地のこと。戦後、佐世保の飲み屋での母の労働の苦労と思い出。「従軍慰安婦」だった韓国女性の詩もある。さらには、戦争の絶えない現代世界の問題も考察され、混迷の闇の世に、迷いながらも人間の種族として連帯していく時代の到来を祈る心が詩情豊かに伝わってくる。
 今年は日本軍国主義による罪深い「韓国併合」一〇〇年である。経済的な交流がすすむ日中関係が歴史問題でぎくしゃくしている今でもある。日米核密約が発覚し、ヒロシマ・ナガサキの被爆国が何をという怒りも広がっている。
 水崎野里子氏の『ゴヤの絵の前で』(コールサック社)は、そのようなことをしっかりと意識させてくれるタイムリーな国際視野の新詩集である。今年度、多くの人たちに読んでもらいたいおすすめの一冊で、私が解説栞を書いているので詳しくはぜひそちらも読んで頂きたいが、一言で表現するなら〝歴史を引き受ける交流の詩人〟。十九世紀のスペインの宮廷画家だったゴヤが、ナポレオン侵略軍に抵抗するスペイン民衆を民衆の側に立って絵にした。それを見た北アイルランド出身の詩人シェイマス・ヒーニーが現代のアイルランド紛争の中の民衆を連想した。その文学を読んだ日本の水崎氏がゴヤのその絵を見て真っ先に連想したのが日本軍による南京虐殺などだった。という重層的なタイトル作品で始まるこの詩集は、日本とアジア、日本と世界、世界各地の紛争と平和、といったテーマを自ら現場に乗り込んで人と交流しながら大きなスケールで、かつ殺されていった一人一人の無念を詩的に刻印しながら、展開している。

 日本国内の社会問題も深刻だ。
 鹿児島の指宿に暮らし、医者として活躍する宇宿一成氏の詩集『固い薔薇』(土曜美術社出版販売)には考えさせられた。もともと鹿児島の地形を擬人法的にうたった作品や、小さな娘との交流と発見、自然界の命の詩、などすぐれて光る詩人であるのだが、詩と評論を旺盛に書く中でついにこの詩集が出たという感じである。これまでもいい詩を書いていたが、今度のは「宇宿詩」とでも呼べる、彼でなければ書けない彼独自の詩世界が出現している。医療現場で体験した生々しい現実から出発した人間存在の命に関わる詩群である。医療の問題は福祉政策の貧困とも関わって今の日本社会の大問題だが、一人の命の存在感と医者の無念など、この詩集が問いかけているものは重い。
 京都に暮らし、長年NTT労働者として活躍してきた西山正一郎氏の詩集『繫ぐ』(ウインかもがわ)にも背筋が伸びる。人の心と心をつなぐはずの通信労働の現場で、経済効率最優先の労働者いじめが横行し、まじめな労働者の志が踏みにじられる。リストラ、自殺、……。ページをめくるのが辛いほどだが、それでいて読んで熱くなってきて、次のページを読みたくなる。そんな中で、奮闘し、人と人をつなぐ仕事を続ける人たち。私もこの春の引っ越しでNTT西日本とNTT東日本と関連会社の人たちにずいぶんお世話になったが、この人たちも過労でなければいいな、と思わずこの詩集を思い出したりした。

 自殺の話が出た。先ほど書いたハンガリー、ロシア、などは自殺が多い国だが、日本も多い。経済システムと福祉の状況が反映し、社会の閉塞感が生み出すコミュニケーションの危機やいわゆる心の病の問題も反映しているだろう。
 そんな問題を自らの内面の時代的な感覚で深めている詩人・亜久津歩氏が「コールサック」前号から連載している自殺に関するエッセイにも考えさせられる。死と生を直視し、自殺という悲しい究極の事態を考察することで、この社会全体の本質的なものが見えてくるようで、興味深い。亜久津氏は斬新なアート感覚の同人誌「エキマエ」でも活躍しているが、注目の第二詩集が待たれている。大いに期待したい。
 今年集大成されたくにさだきみ氏『くにさだきみ詩選集一三〇篇』(コールサック社)はこれまでの詩業の重要性が今大きな話題になり好評だが、戦争や社会システムを告発した筆先鋭い名詩郡だけでなく、息子さんの自殺とその背景の詩も、読むのが辛いが深く胸を打つ。福祉現場の体制の不備はこの国の弱点だ。
 かつて、息子さんを多国籍企業に「殺された」中正敏氏の詩群にも胸を打たれたものだが、九十五歳になる今年発行された新詩集『いのちの籠・拾遺』(詩人会議出版)にはいつもながら深い感銘を受けた。世界と社会の批判精神を内省の深みで詩念に昇華させている。長年生きてきた感慨も伝わる。北村愛子氏詩集『今日という日』(コールサック社)も老いてなお若い元気な暮らしの言葉を伝えてくれている。

 このような危うい時代の象徴ともいえるオウム真理教の地下鉄サリン事件から十五年が経ったが、あのようなインチキ集団に迷惑しているのがまじめな宗教者であろう。平和問題や心の救いの問題と向き合うまじめな宗教者の心を詩の心と結んだ、ユニークですぐれた新刊詩集を二冊、紹介したい。
 徳沢愛子氏の詩集『加賀友禅流し』(コールサック社)は、石川県の伝統工芸・加賀友禅のなりわいを刻印した貴重な詩群を中心に、戦争や地球温暖化の詩などもあり、後半はクリスチャンとしての思いを自らの人生の言葉として展開している。
 石村柳三氏の詩集『夢幻空華』(コールサック社)は、仏教の思想をベースにしながら、石村氏のバイタリティあふれる自由奔放な詩精神が、庶民生活の哀歓にじむ作品世界をつくりだしている。目次だけで七ページ、作品二一六篇という長年の集大成詩群に圧倒される。故郷・津軽を書いた詩群も新鮮だ。

 ところで、先ほどふれた「コールサック詩文庫」シリーズが昨年出版され始め、話題を呼んでいる。
 『鈴木比佐雄詩選集一三三篇』『朝倉宏哉詩選集一四〇篇』『くにさだきみ詩選集一三〇篇』『吉田博子詩選集一五〇篇』の四冊がたて続けに刊行されたが、それぞれの詩業の刻印だけでなく、単発の詩集とは違う視野で、詩人がこれまで歩んできた道をいっしょにたどる人生共感的な味わいがある。若い頃の作品にも新鮮な発見があるだろう。ハードカバーの現代的な装丁もいい。シリーズの今後が楽しみだ。『大崎二郎全詩集』(コールサック社)は長年の氏の詩業の集大成で歴史的価値がある。
 「詩人のエッセイシリーズ」(コールサック社)も刊行され、好評である。読んで勉強になる山本衞氏『人が人らしく~人権一〇八話』、新感覚の京都歳時記のような夢幻的な連想の広がりが人生の現実関係の深さを伝える淺山泰美氏『京都 銀月アパートの桜』、おへんろを自ら体験する中で見えてきたものなどを詩人の感性でつづった異色の好著といえる下村和子氏『遊びへんろ』

 話は変わって、高齢化著しい詩界において、新しい人たちの登場も待たれるし、おしだして応援するのは私たちの文学歴史的な使命であろう。土曜美術社出版販売の現代の新鋭」シリーズは空気を変えるきっかけを提供してくれたと思う。「若い人は詩を書かない」とか「若い人はまわりにいない」など口癖のように耳にする詩界であるが、そんなことはないのだということが判明したのだ。一色真理氏の強力なイニシアチブに拍手を送る。
 視点社の詩集「新世紀の詩人一〇〇〇行」シリーズもユニークである。高鶴礼子氏詩集『曙光』は川柳作家でもある作者ならではの厳しくストイックな趣向の詩群が並び、ドキリとさせる。今岡貴江氏詩集『空のアスカ』は一九七三年生まれの作者が青春の道で結婚して出産する中で、いろいろ悩み迷いすすんできた人生の身近な考察が、作者ならではのみずみずしい感覚で現代的な詩想となってこちらへ響く好詩集である。
 受贈詩誌などを通しても、現在特に私が評価し注目している新鮮な詩人、もしくはある方面ではよく知られているがもっと広く注目されていい詩人はたくさんいる。
 ほんの数人、思いつくままに挙げてみると、北海道の沓澤章俊氏、大阪の丁章(チョン・ヂャン)氏、大阪の犬飼愛生氏、兵庫の畑中暁来雄氏、三重の吉川伸幸氏、静岡の高岡力氏、ケニア在住のおぎぜんた氏、などなど。
 「コールサック」でアファナシェフ氏の詩の翻訳をしたり、自身でもいい詩を発表している千葉の尾内達也氏は現代日本の詩の運動を担う力のある人である。昨年、翻訳本を出版した。今号の英語ドイツ語俳句は、日欧の古典をふまえた斬新な発想の新世紀文芸と言えよう。今最も注目の書き手である。

 翻訳と言えば、最近、コールサックの周りで国際詩運動の機運が盛り上がってきている。
 この分野ではかつて詩誌「地球」の人たちが中心になって頑張っていたが、秋谷豊氏ご逝去によって終刊してしまった。
日本詩人クラブ日本現代詩人会がいろいろな国際交流を企画実践しているが、身近なところでも実践できるといい。
 その意味で、保坂登志子氏らが頑張っている詩誌「こだま」の国際詩交流は童心にも詩の光を当てた貴重な仕事と言えよう。
 また、今年は佐川亜紀氏らの尽力で日韓共同の今日的アンソロジー詩集『日韓環境詩集』(土曜美術社出版販売)が刊行される予定だ。これをきっかけにますます周辺の交流もすすむといい。
 月刊誌「詩人会議」(秋村宏運営委員長・南浜伊作編集長)も頻繁に世界のリアルタイムの詩を翻訳紹介しており、時代が時代なだけに社会的な鋭い眼を持つこの詩誌からの発信もますます重要になっていくだろう。三月には詩パンフレット「核兵器のない世界へ」を発行し、一般の平和運動の場でも活用され始めている。各地方の同グループ誌も健在である。
 詩誌「新・現代詩」、詩誌「潮流詩派」、詩誌「いのちの籠」なども今の社会に敏感な、世界につながる方向の詩運動を展開し続けている。
 英詩の重鎮的存在の郡山直氏の日本語詩集『詩人の引力』(コールサック社)がついに出た。達観パワー全開の生きた言葉が読み手を元気にしてくれる。そして内容に共感し、平和の思いと詩の思いを強くさせてくれる。
 その郡山直氏が英訳を担当した堀内利美氏詩集『長詩・円かな月のこころ』(コールサック社)は、わかりやすい言葉ながらアヴァンギャルドとも言える奔放で伸びやかな詩精神が、月の陰影を含んで澄んだ光となってこちらにビンビン伝わる跳躍の一冊である。日本語と英語で掲載されており、広く世界の人々にも読んでもらいたい。
 さらには先ほどの水崎野里子氏や、結城文氏の海外詩翻訳。
「コールサック」飛躍のきっかけともなったアンソロジー詩集『原爆詩一八一人集』よりも前から「コールサック」に原爆長詩「リトルボーイ」(その後、詩集として出版)を連載してきた韓国の高炯烈(コ・ヒョンヨル)氏が現在新たに連載執筆している「アジア詩行」(訳・李美子氏)の詩集出版も予定されている。

 夏にはアンソロジー『鎮魂詩四〇〇人集』(鈴木比佐雄氏・菊田守氏・長津功三良氏・山本十四尾氏・編/コールサック社)が出版される。実現のために全国各地のさまざまな有力詩人たちにご協力頂いている。コールサック社では千葉勇吾氏を中心に私も組版作業に加わり、圧倒的な諸作品を本にさせて頂いている。ぜひ読んで頂きたい。もうこの世にいない存在、あるいは失われてしまったさまざまな存在をこの世に記憶するために、詩人が渾身の詩的レクイエムを捧げている。古今東西の祈りと願いが降り注ぐだろう。

 といった二〇一〇年の始まりである。
 思うようには社会改革のすすまない混迷の現状のもとでも、あるいはだからこそ、ますます詩精神が全国津々浦々で、世界各地で、深められ、発信され、伝えられる年になってほしいものだ。コールサックもそのためのお力になれれば、と思う。

(詩誌「コールサック」66号より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

現代詩時評・展望 |